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日本の歴史を塗り替える日に…吉田麻也「このチャンスは4年後にしか来ない」

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 4年前の悔しさを知る選手は少ないかもしれない。しかし、チームとして目指してきた目標は4年間変わっていない。18年のロシアW杯決勝トーナメント1回戦でベルギーに対し、2-0とリードしながら土壇場で逆転負けを喫した「ロストフの悲劇」。当時のメンバーで今大会も選ばれているのはDF吉田麻也、DF長友佑都、DF酒井宏樹、MF遠藤航、MF柴崎岳、GK川島永嗣の6人しかいない。

 この4年間、キャプテンとしてチームを引っ張ってきた吉田は「ラウンド16の壁を破るために、毎日いろんなものを犠牲にしてやってきた」と、この一戦に並々ならぬ思いを持っている。

 日本代表が02年日韓W杯、10年南アフリカW杯、そして18年ロシアW杯と3度阻まれてきたベスト16の壁。「このチャンスは4年後にしか来ないし、このチャンスを逃したくない。日本が世界的に注目される中、グループリーグを突破してからどう戦うかが重要になる」。そう力を込めた。

 日本代表のコーチとしてロシアW杯を戦ったのが今の代表チームを率いる森保一監督だった。GK権田修一はロシアW杯のメンバーではなかったが、ロシアW杯後に発足した森保ジャパンには立ち上げ当初から名を連ねてきた。

「札幌で試合がキャンセルになったときから森保さんが言っているのが『ロシアの悔しさはカタールで晴らす』ということ。それは立ち上げ当初から言っていた」と権田は振り返る。森保ジャパンの初陣となるはずだった18年9月7日のチリ戦は北海道胆振東部地震の影響で中止となったが、そのころから目標設定は変わっていない。

「その目標を達成する挑戦権を得られた。この4年間は長かったようで、あっという間だった」(権田)。2大会連続のグループリーグ突破は史上初。日本にとって4度目となるベスト8への挑戦が始まる。

 吉田にとって、日本がベスト8に進出することはチームとしての目標であると同時に、自分自身にとって偉大な先輩を超えることも意味する。

「若いときから代表でチャンスをもらって、たくさんの試合に出てきた中で、中澤さん、闘莉王さんの亡霊を追いかけてきたというか、2人を超えたいという思いは頭の片隅にあった」(吉田)

 10年南アフリカW杯で日本をベスト16に導いた中澤佑二と田中マルクス闘莉王のセンターバック。「ベスト16の壁を破ったとき、初めてそこにたどり着けるのかなと」。過去のレジェンドたちも成し遂げられなかったベスト8が、再び手の届くところまで来た。

 ロシアW杯後、代表から引退したMF長谷部誠のあとを継ぐ形でキャプテンに就任した吉田は「当初はすごく長谷部さんを意識していたけど、あるときから比べなくなったというか、気にしなくなった」と率直に明かした。

「自分には自分の良さがあるし、いろんなキャプテンを見て、いろんなことを吸収してきた。そのハイブリッド型じゃないけど、いいとこ取りで積み上げてきた。評価するのは皆さんだし、僕らしくやって結果が出れば、自分のやってきたことが間違ってなかったと証明されるのかなと思う」

 さまざまな思いを胸に、この4年間のすべてをぶつけるときが来た。

(取材・文 西山紘平)

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