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「自分なりのけじめ」で現役引退を決断…千葉MF佐藤勇人、20年間のプロ生活は「後悔しかない」

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現役を引退するジェフユナイテッド千葉MF佐藤勇人(前列中央)

 誰よりもジェフを愛していた男が一つの決断を下した。ジェフユナイテッド千葉MF佐藤勇人は16日にクラブハウスで行われた現役引退記者会見で、その経緯を説明した。

 決断したのは早い時期だった。6月29日に行われたJ2リーグ第20節。ホームで行われた町田戦に1-2で敗れた直後だったという。シーズンは半分残っていたが、開幕前に決めていた。「シーズンの半分が終わったときに、チームがどこの場所にいるか。それがすべて。自分の最後の価値じゃないけど、それで決めようと思っていた」と――。町田戦の敗戦でチームは18位まで落ちた。

「リアルに昇格が難しい位置にいた」。そして、今季序盤は負傷もあってピッチに立つ機会は限られたが、「自分はピッチ以外でも、チームのためにできる人間だと思っている。自分がピッチに立っていなくても、チームの順位がそのような順位なら自分の責任だと思っている」とユニフォームを脱ぐ決断をした。

「自分なりのけじめです。来シーズンもJ2で戦うそのけじめ。クラブとして、次の時代というか、そうやって進まないといけない。『1年でジェフをJ1に戻す』と格好いいことを言って戻ってきた自分が、10年上げることができなかった。その間、ずっといた自分が、11年目からは次の選手に託すべきだと思った」

 千葉(当時・市原)の下部組織出身の勇人は、00年に双子の弟・寿人やMF阿部勇樹(現浦和)とともにトップチームに昇格。プロ1年目でJリーグデビューを果たし、3年目には13試合に出場と着実に出場機会を増やしてきた。そして、03年にイビチャ・オシム氏が監督に就任すると、チームに無くてはならない存在へと成長。05年、06年のナビスコ杯(現ルヴァン杯)2連覇に貢献するだけでなく、06年8月にはA代表デビューを飾った。08年に京都に移籍し、10年には千葉に復帰。プロ生活20年目となる今季は、千葉で過ごす18年目のシーズンとなっていた。

 勇人が08年に京都に移籍した翌年の09年に千葉がJ2に降格。「自分はジェフがJ1にいるときに京都に移籍し、12歳からお世話になったクラブがJ2に落ちた瞬間をテレビで見た。そのとき、『自分はこのクラブをJ1に上げたい』『上げなくてはいけない』という思いが強くなった」と翌10年に千葉復帰を決断した。「ジェフはJ1にいないといけないクラブ」と常々語っていたように、先頭に立ってJ1昇格のためだけに戦い続けてきたが、結果がついてこなかった。12年から導入されたJ1昇格プレーオフに出場しても勝ち抜くことができず。昨季はクラブ史上最低となるJ2・14位に沈み、今季も昇格争いに絡むことなくシーズン終盤を迎えている。

「自分の力のなさで上げられなかった」。勇人は自身の引退をチームメイトやスタッフに伝えた際に、「プロとして20年間やらせてもらったけど、後悔しかない」と伝えたという。03年のJ1セカンドステージや05年J1リーグでは優勝まであと一歩に迫り、J2降格後のJ1昇格プレーオフでは12年と14年に決勝まで進出しながらも敗れた。あと一つ勝てば優勝できたかもしれないし、昇格できたかもしれない。「でも、できたかもしれないでなく、しないといけない。そういうときがきたら絶対にしなきゃいけないということを自分は後悔している」と悔しさを滲まる。しかし、視線は前へと向いていた。

「今は後悔しかないけど、もしかしたら自分の背中を見て、アカデミーの子供たちが将来のジェフのために、『俺らがトップチームを強くするんだ』『魅力あるクラブにするんだ』と少しでも思い、それを目指して、一人でもトップチームに上がってこれる選手が出てきたときに、自分のサッカーキャリアは後悔から喜びに変わるかもしれません」

 現役引退後の予定は未定で「クラブとの細かい話はこれから」としながらも、「自分の思いは伝えさせてもらった」ようだ。

「自分はアカデミー出身で、サッカー人生はこのクラブとともに歩んできたので、このクラブの未来のために自分は力になりたいという話はした。強いチームとか、優勝するチームとか、それ以上に、皆さんの生活において必要とされるクラブ。そうなってもらえるように力を尽くしたい」

 残り6試合。プロサッカー選手としてピッチ上を走り回り、勇人は新たな人生を歩み始める。

(取材・文 折戸岳彦)

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