15年ぶりVに感極まった横浜FMキャプテン喜田「個人的な感傷よりも…」
[12.7 J1第34節 横浜FM 3-0 FC東京 日産ス]
横浜F・マリノス一筋で育ってきた25歳の若きリーダーが、愛するクラブに15年ぶりのリーグタイトルをもたらした。MF喜田拓也は「チームメートやスタッフ、ファン・サポーターもそうですし、マリノスファミリーのみんなの思いが詰まったシャーレだった。それを代表して掲げさせてもらって感無量です」と素直な感慨を語った。
横浜FMは今季、異例の主将3人制でチームを発足。MF扇原貴宏、MF天野純と共に重責を任されたのが喜田だった。「タイトルを取るということでスタートしたけど、去年の結果で言えば現実として考えている人はいないに等しかったと思う」。昨季は最終節までJ1残留が決まらなかった結果の12位。端から見れば、立て直しに近い船出だった。
しかし、彼らの思いは違った。「選手、監督、スタッフ、チームのみんなだけは心の底から信じてスタートして、最初の時点からこのチームは何かを起こせるというのが自分の中にはあった」(喜田)。就任2年目のアンジェ・ポステコグルー監督が進める改革を信じ、そうした取り組みが結果につながるという信念を持って戦ってきた。
そうした姿勢はシーズン序盤から結実し、まずは自慢の攻撃力が花開いた。当初は複数得点と複数失点が続く不安定な戦いぶりも見せたが、中盤以降は守備も安定。J1第21節から23節にかけては3連敗という窮地にも陥りつつも、最後は11戦10勝というブレない強さで頂点にまで駆け上がった。
試合後には感極まる様子を見せた喜田。「ここにかけてきた気持ちがあるので素直にうれしいし、みんなのそういう頑張りだとか、かけてきた時間や姿勢が報われたことが一番うれしくて。みんなの喜んでいる顔も見るとなおさら感じるものもあった」。その理由はクラブのために共に戦ってきた仲間への想いからだった。
小学1年生で横浜FMスクールの門を叩き、それからはクラブ一筋20年弱。2000年代初頭に築いた黄金時代も、功労者との別れが相次いだ2010年前後も、最後の最後でリーグ制覇を逃した2013年も、立場こそ違えど間近で経験してきた。喜田のサッカー人生は、ほとんど横浜FMと共にあったといっても過言ではない。
「個人のことを言えば小学校1年生からこのエンブレムを着けてサッカーをして、いろんな姿を見せてもらったし、思うところもいろいろあった。15年ぶり、クラブとしては非常に長かったと思う。そこにキャプテンとして携われたことにもちろん思うところはあるけど、個人的に感傷に浸る気持ちはない。みんなの頑張りや思いが出ていたと思うし、この試合だけじゃなくて今年1年通して良い結果を出すために全員が頑張ったので、そっちの感謝のほうが個人的な感傷よりも大きい」。
今季は累積警告による出場停止1試合を除く全33試合に出場した喜田。過去のキャリアでは30試合以上に出場したシーズンは一度もなく、個人のパフォーマンス向上が優勝に寄与したのは間違いない。しかし、そうした個人の成長さえも「クラブのため」という信念にあったと喜田は語る。
「当然チームのことも考えながらも、自分のことを蔑ろにするわけにはいかない。それは裏を返せばチームのためにならないので。まずはプレーでも、行動でも、姿勢でも良いモノを示さないことには始まらない。そういったところでいろいろ考えてプレー面でも取り組んできた」。
「自分が一番示していないと説得力もないし、要求することもできない。そこが大前提としてある。そうやってたくさんのことを考えてきた中で、プレーはもちろん、振る舞いとか些細なことでも気を付けてきた」。そうした主将の姿勢こそが、奇跡的なジャンプアップを遂げたチーム全体に波及したことは想像に難くない。
最終節の試合後、喜田は「自分は評価する立場でもないし、上からモノを言うつもりはないけど、一人のチームメートとして本当に頼もしく感じたし、すごく抽象的にはなるけど良い集団になっていった」と総括した。しかしその一体感の中心にいたのは、左腕のキャプテンマークと共にピッチに立ち続けた背番号8本人だった。
(取材・文 竹内達也)
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横浜F・マリノス一筋で育ってきた25歳の若きリーダーが、愛するクラブに15年ぶりのリーグタイトルをもたらした。MF喜田拓也は「チームメートやスタッフ、ファン・サポーターもそうですし、マリノスファミリーのみんなの思いが詰まったシャーレだった。それを代表して掲げさせてもらって感無量です」と素直な感慨を語った。
横浜FMは今季、異例の主将3人制でチームを発足。MF扇原貴宏、MF天野純と共に重責を任されたのが喜田だった。「タイトルを取るということでスタートしたけど、去年の結果で言えば現実として考えている人はいないに等しかったと思う」。昨季は最終節までJ1残留が決まらなかった結果の12位。端から見れば、立て直しに近い船出だった。
しかし、彼らの思いは違った。「選手、監督、スタッフ、チームのみんなだけは心の底から信じてスタートして、最初の時点からこのチームは何かを起こせるというのが自分の中にはあった」(喜田)。就任2年目のアンジェ・ポステコグルー監督が進める改革を信じ、そうした取り組みが結果につながるという信念を持って戦ってきた。
そうした姿勢はシーズン序盤から結実し、まずは自慢の攻撃力が花開いた。当初は複数得点と複数失点が続く不安定な戦いぶりも見せたが、中盤以降は守備も安定。J1第21節から23節にかけては3連敗という窮地にも陥りつつも、最後は11戦10勝というブレない強さで頂点にまで駆け上がった。
試合後には感極まる様子を見せた喜田。「ここにかけてきた気持ちがあるので素直にうれしいし、みんなのそういう頑張りだとか、かけてきた時間や姿勢が報われたことが一番うれしくて。みんなの喜んでいる顔も見るとなおさら感じるものもあった」。その理由はクラブのために共に戦ってきた仲間への想いからだった。
小学1年生で横浜FMスクールの門を叩き、それからはクラブ一筋20年弱。2000年代初頭に築いた黄金時代も、功労者との別れが相次いだ2010年前後も、最後の最後でリーグ制覇を逃した2013年も、立場こそ違えど間近で経験してきた。喜田のサッカー人生は、ほとんど横浜FMと共にあったといっても過言ではない。
「個人のことを言えば小学校1年生からこのエンブレムを着けてサッカーをして、いろんな姿を見せてもらったし、思うところもいろいろあった。15年ぶり、クラブとしては非常に長かったと思う。そこにキャプテンとして携われたことにもちろん思うところはあるけど、個人的に感傷に浸る気持ちはない。みんなの頑張りや思いが出ていたと思うし、この試合だけじゃなくて今年1年通して良い結果を出すために全員が頑張ったので、そっちの感謝のほうが個人的な感傷よりも大きい」。
今季は累積警告による出場停止1試合を除く全33試合に出場した喜田。過去のキャリアでは30試合以上に出場したシーズンは一度もなく、個人のパフォーマンス向上が優勝に寄与したのは間違いない。しかし、そうした個人の成長さえも「クラブのため」という信念にあったと喜田は語る。
「当然チームのことも考えながらも、自分のことを蔑ろにするわけにはいかない。それは裏を返せばチームのためにならないので。まずはプレーでも、行動でも、姿勢でも良いモノを示さないことには始まらない。そういったところでいろいろ考えてプレー面でも取り組んできた」。
「自分が一番示していないと説得力もないし、要求することもできない。そこが大前提としてある。そうやってたくさんのことを考えてきた中で、プレーはもちろん、振る舞いとか些細なことでも気を付けてきた」。そうした主将の姿勢こそが、奇跡的なジャンプアップを遂げたチーム全体に波及したことは想像に難くない。
最終節の試合後、喜田は「自分は評価する立場でもないし、上からモノを言うつもりはないけど、一人のチームメートとして本当に頼もしく感じたし、すごく抽象的にはなるけど良い集団になっていった」と総括した。しかしその一体感の中心にいたのは、左腕のキャプテンマークと共にピッチに立ち続けた背番号8本人だった。
(取材・文 竹内達也)
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