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ジュニアユースからコーチまでレイソル一筋27年目、大谷秀和が歩む「第二のサッカー人生」

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引退後も“日立台”を職場にしている大谷秀和柏レイソルコーチ

柏レイソルの象徴”として、大谷秀和の名前を挙げることに異論はないだろう。昨シーズンをもって20年のプロ生活に幕を下ろし、選手時代を中心とした半生が綴られた書籍『バンディエラ』(鈴木潤著、ベースボール・マガジン社刊)が反響を呼んでいる。引退後、即指導者への道に進んだ大谷の現在地とは――。

試合を見る気持ちは「サポーターと同じ」



 書籍のタイトルにもなっているバンディエラは、イタリア語で旗手や旗頭を意味している。サッカー界ではひとつのクラブで長くプレーした選手を指しており、現役選手でいえば福岡のFW城後寿、広島のMF青山敏弘、甲府のDF山本英臣らが挙げられる。そんなバンディエラのなかでも「ホームタウン生まれ」「育成組織からの生え抜き」「Jで20年以上プレー」という条件に絞ると、鹿島でGKとして活躍した曽ヶ端準と大谷のみになる。

 昨年、選手としてのキャリアを終えた大谷は、今年になっても“日立台”を職場としている。現役最後の試合となった2022年11月5日の翌月には、2023シーズンからトップチームのコーチに就任されることが発表されていた。引退の翌年にトップチームのコーチになった例は、柏で大谷と名コンビを組んでいた栗澤僚一(現柏コーチ)、日本代表としても長く活躍した中村俊輔(現横浜FCコーチ)といった面々に限られる。

「コーチになって生活スタイルが変わりましたけど、戸惑うことはなかったです。自分の体の準備に割いていたストレスはなくなったので、気持ち的には緩和されたと思います」と現在の心境を語る。現役時代より引き締まったように見える肉体は、「2kg落ちましたよ」と笑みをたたえた。

 コーチとして始動してから約8か月。大谷コーチは、どのようにチームと関わっているのだろうか。

「ホームの日にはメンバー外の選手のトレーニングを僕のオーガナイズで見て、試合中はサブの選手のアップを見て、スタンドで試合を見て、という形ですね。アウェーだと他のスタッフはみんな帯同してしまうので、メンバー外の選手の練習を僕1人で見て、関東圏の試合に間に合えば、練習が終わってから向かいます」
 
 2023年2月18日、三協フロンテア柏スタジアムで迎えたG大阪との開幕戦。スタンドで試合を見ていた大谷コーチは、「自分がピッチに立っていたときとは全く違う感情」に気がついたという。

「選手時代は試合に勝ったときにうれしい気持ちよりもホッとする感情のほうが強かったです。点が入ったときもうれしいんですけど、『残り時間をどう戦うか』とすぐに頭を切り替えなければいけませんでした。コーチになってからは、選手に託すしかないですから。そういう意味で、1点が入ったときの心の揺さぶられ方は、サポーターと一緒だと思います」

 まるで、黄色いユニフォームに憧れていた大谷少年のころに戻ったかのようだ。

育成年代はトップ下、プロではボランチへ



 柏のホームタウンのひとつである流山市生まれの大谷が、柏レイソルの存在を知ったのは小学生のときだった。育成年代の試合の記憶も「だいたい覚えている」という大谷だが、柏レイソルを知ったきっかけについては「親なのか、テレビなのか、どういった経緯なんですかね……」と首をひねる。当時、流山FCでプレーしていた大谷は、柏のジュニアと練習試合をすることもあった。「プロの選手と同じユニフォーム着ている上手な子たち」という認識だったが、黄色いユニフォームを着ることに憧れを抱くようになっていった。

 中学年代は念願の柏のジュニアユースでプレー、高校年代ではそのままユースへの昇格を果たした。進学先は公立高を望んでいたが、「公立の受験のときに体調を崩して受けられなかった」ため、私立の流経大柏高へ。この進学が大谷にとってはプラスとなったという。

「体育科に通っていたので、授業が終わればクラスメイトはみんな部活。いまの日体大柏のように、当時はユースの選手が流経に進学することが多かったんです。ただ、僕の代は2人だけだったので、遊びの誘惑もなくてサッカーに向き合うにはいい環境でしたね。学校の理解もあって、サテライトの練習に呼ばれたときには、心よく送り出してくれました」

 いまでこそ流経大柏は高校サッカー界に名を馳せているが、当時は選手権や総体への出場経験がない黎明期だった。大谷が2年生のときに、習志野高の本田裕一郎が流経大柏サッカー監督に就任。大谷と同学年のDF深津康太(岩手)、近藤祐介らも流経大柏に転校、強豪校への礎を築いていたタイミングだった。そして、3年生になると深津、近藤、さらに「小学生のときから知っていた」という市立船橋高の原一樹、大久保裕樹らとともに千葉県選抜として国体にエントリーする。「メンバーに入るだけでも熾烈で。県をあげて日本一に取り組んでいたので、プレッシャーもありました」。千葉県唯一のJユース所属の選手として、7番を背負った。

「めちゃくちゃ苦戦しました」と振り返る滋賀県との初戦はスコアレスのまま延長戦までもつれ込む。そこでヘディングによるVゴールを決めたのが、2列目でプレーしていた大谷だった。続く山口県との2回戦も大谷の決勝点で勝ち上がった千葉県は、決勝で王国・静岡県と激突。FW矢野貴章(栃木)、DF大井健太郎(イースタン・ライオンズ)、谷澤達也、成岡翔らを擁するタレント軍団を、延長の末に1-0で退けて日本一に輝いた。「本当に国体は楽しかったです。流経、市船とかいろいろな高校から選ばれていましたが、和気あいあいとしていました」。後に10人がJリーガーとなる千葉県において、大谷は決勝までの全5試合で先発を飾り、優勝に貢献した。

 高校年代までの主戦場はトップ下だった。ところが、当時のユースの濱吉正則監督から、「トップに上がるんだったらボランチ」というアドバイスを受けて、トップ昇格とともにほとんどプレー経験のなかったボランチへ転向する。

「探り探りでしたね。プロのキャンプはハードですし、自分のプレーで精一杯。何が正解かわからないので、とにかく監督が要求することを自分ができる最大値でやろうと思っていただけです」

 プレシーズンマッチのちばぎんカップにボランチで先発に起用されると、高卒ルーキーながら開幕戦のスタメンを勝ち取った。

デビューから3シーズンの背番号は23。明神智和が移籍してからは7番に


常に心に秘めていた「柏から世界へ」



 J1・天皇杯・ナビスコ杯の優勝、そして3度のJ2降格。これほどひきこもごもなプロ生活をたどる選手もめずらしいだろう。また、大谷ほどのキャリアを持ちながら、日本代表に縁がないのも数奇といえる。実際、J1で350試合以上出場した選手で、世代別も含めて代表経験がないのは大谷くらいだ。代表での試合に恵まれなかったからこそ、「常にその舞台に立ちたかった」とACLへの強い思いがあるのかもしれない。チームとしても、サポーターとしても、「柏から世界へ」は重要なワードになっている。

「アウェーに行って数日でその土地に慣れて試合をして、戻ってきてJリーグの試合をして。環境が全然違うところで試合ができて、すごくタフにしてもらったと思います。代表選手たちは、それよりもさらに移動距離が長いし、レベルも高い相手と常に戦っていますが、クラブレベルでできることでいえばACL。成績を残したチームしか出られない大会なので、日程の面とかいろいろあるとは思うんですけど、自分は出られるなら毎年出たいといまでも思います。コーチになったいま、選手にはそういう舞台を経験してもらいたいですね」

 優勝チームにACL出場権が与えられる天皇杯で、現在柏は準決勝まで勝ち進んでいる。柏にとって2018年以来となるアジアの舞台まで、あと2勝だ。

「まず準決勝がありますけど、ここまで来た以上はファイナルに行って、タイトルを獲りたいです。でも、いまACLに出られたら、僕はアウェーは居残りですね(笑)」

プロに必要な「怪我耐性」「運」「聞く力」



 長く現役を続けてきた大谷にとって、いい選手の条件は「一番は怪我をしない選手。常に監督の選択肢に入るためには、どんなうまい選手でも、ピッチに立てなければ話にならない」。さらに、「運は間違いなくプロの選手には大事な要素」だと続ける。

「たとえば、高校や大学からプロに入るときに、チームの編成のバランスで自分のポジションや若い選手が足りないタイミングがめぐってくるのは、運でしかないと思います。でも、運を引き寄せられるかは自分次第。誰かを獲ろうとなったときに、プレーで示していないとリストに挙がってきませんからね」

 20年の現役生活の中で、11人の監督のもとでプレーし、いずれの監督からも高い信頼を勝ち取っていた大谷。「何か特別な才能があるわけではなかった」という本人の言葉を借りるなら、数値化しにくい能力、監督が要求することへの理解力が高かった故だろう。そのことについて問うと、「監督の話は聞いていたと思います」と謙遜するが、話を聞くことの重要性を指導者の立場になって思い知ることになった。

「指導者になって思いますけど、選手はあまり話を聞こうとしていないなって。もちろん、ミーティングになれば耳を傾けると思うんですけど、トレーニング中とかは、指導者が1から10まで説明するかっていうと、そうじゃない人もいますし。そういうときに意図をくみ取ることが大事で。そこは自分は割りと得意だったのかなと思います」

 指導者になったことで、伝えることのむずかしさにも直面している。

「たとえば、紅白戦から外れた選手のトレーニング見るとき。紅白戦に入れない悔しさがあるなかで、同じグラウンドでは紅白戦をやっていて、そっちに意識を持っていかれてしまうのは仕方がないことだと思います。『見るな』と言ってもむずかしい選手の気持ちはわかります。それならば、ちょっと休憩を長くとって、その間は紅白戦を見て、それが本人たちの刺激になればいいと思うんです。あと、選手に話すときの僕の立ち位置も重要で。選手の視線の先に紅白戦が入らないように、話を聞いてほしいときは選手が紅白戦に背中を向けるようにしています」

 23歳でキャプテンに就任したときのように、誰かを模するのではなく、自らの指導者像を構築しているところだ。

現役時代は通算600試合以上に出場、数多くのタイトルも獲得した


貴重な経験を重ねている指導者1年目



 2023シーズン、開幕から2試合連続で引き分けた柏は、その後の4連敗で最下位に転落した。続く第7節・鹿島戦では1-0の勝利をおさめ、昨年から続いていた16試合未勝利という負の連鎖を断ち切って調子が上向くかと思われた。しかし、下位から抜け出すことができず、5月にネルシーニョ監督が退任。井原正巳ヘッドコーチが新監督に就任したが、監督交代という劇薬をもってしても、状況は好転しなかった。「すぐに試合があって、なかなかトレーニングの時間が取れなかった」と新指揮官の戦術を落とし込むのには、時間が必要だった。

 再び最下位に落ちるなど苦戦が続いていた柏だが、リーグの中断が明けて8月に入ると一転。8月から9月の公式戦は、5勝3分1敗と好調を維持している。「中断に入ったときに、しっかり守備のところのトレーニングできました。選手は素直に、暑い中トレーニングに向き合ってくれました」と大谷は選手を称える。「個人だけに頼らず、チーム全体でゴールを守ろう」という狙いに向けて、アプローチしていった。

「どちらが正解、不正解ということではなく、体にしみ込んでいることと、いま要求されてることの違いがあって。その狭間で、選手も一歩遅れてしまったり、無意識に動けない部分もあったと思うんです。そこの部分を毎日トレーニングしていきました」

 7月末の中断中に守備の立て直しを計った柏は、8月以降の公式戦で8試合3失点と守備が安定、試合の結果にも結びついている。DF犬飼智也(←浦和)、MF山田雄士(←栃木)といった新加入選手が即フィットしただけでなく、出場機会に恵まれない時期もあったMF戸嶋祥郎、MF山田康太の活躍も好調の要因に挙げられる。戸嶋と山田の姿を近くで見ていた大谷は、彼らから学びを得たと語る。

「元々力のある選手たちだとは思うんですけど、腐らずにしっかりとトレーニングを積んでいました。そうしてサッカーに向き合った選手が、結局はピッチで戦える選手になるんだ、と改めて2人から学ばせてもらいました」

 Jリーグで指導者になる道は、Jリーガーになるよりはるかに狭き門だ。選手を終えてもなお厳しい世界に身を置く大谷だが、「本当にいい経験を1年目からさせてもらっています」と白い歯をこぼした。

 柏のサポーターに最も愛された男の「第二のサッカー人生」は、まだはじまったばかりだ。

(取材・文 奥山典幸)
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奥山典幸
Text by 奥山典幸

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