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[関東]「日本じゃ絶対に味わえない」北朝鮮戦や国歌へのブーイング…U-22日本代表大学生戦士が振り返る“アジア”

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アジア大会から帰国しで大学での試合に臨むMF角昂志郎(左)とDF今野息吹

 どことなく、表情からたくましさを増したように感じた。「日本じゃ絶対に味わえない経験でした」。“アジア”を経験した選手たちは、一様に同じ意見を繰り返した。

 先日まで中国で開催されていたアジア大会のサッカー競技で、U-22日本代表は銀メダルを獲得した。いろんな意味で最も注目を集めたのは準々決勝の北朝鮮戦だろうか。試合以外でも様々な波紋を広げる文字通りの死闘だった。

 DF今野息吹(法政大4年=三菱養和SCユース/G大阪内定)は、まずはベンチから戦況を見ていた。「本当に今までやったチームで一番荒かったですし、目も血走ってて。いつ怪我するかとヒヤヒヤしながらみていました」。

 そんな今野に後半37分、声がかかった。FW松村優太(鹿島)が決めたPKによって勝ち越した直後の投入。「試合をこのまま終わらせる」という明確なメッセージを受け取って、ピッチに入ることになった。

 ただ時間が進むごとに北朝鮮の選手たちがみせた行動はエスカレートしていた。日本のスタッフから水を奪おうとして拳を振り上げるシーンや、試合後の猛抗議は常軌を逸していた。

 チャンスがあれば攻撃を試みようと思っていたという今野だが、まずは無事試合を終えられたことで「ホッとした部分」があったと話す。しかしどんな状況でも戦える選手にならないといけない。「北朝鮮の圧」に苦戦していたことに反省があったとし、「ああいうところを外せる技術だったりは必要だなと思いました」と冷静な分析もした。

■プロと大学生の混合チーム

 アジア大会に出場したU-22日本代表は、半数近くが大学生というメンバー構成で参戦した。プロ組と大学生。年齢はほとんど同じでも、最初は話す話題の違いから距離感があったというが、大岩剛監督から「日の丸をつけたらプロも大学生も変わらない」「ピッチの上では覚悟を持ってプレーしろ」という話があったことをきっかけに、徐々に打ち解けていったという。

 MF角昂志郎(筑波大3年=FC東京U-18)もプロ選手との距離感、係わりの難しさを感じていた一人だった。ただ大岩監督の言葉があってからは、自分から積極的に会話をすることを心掛けた。プロ選手側も主将としてチームをまとめたDF馬場晴也(札幌)を筆頭に、MF佐藤恵允(ブレーメン)や松村雄太ら代表経験者たちが率先してチームを盛り上げてくれたという。

 さらに中国での“非日常”もチームを団結させた。杭州市内ではアジア大会自体の盛り上がりがあったが、試合だけでなく練習場に移動する際も常に警護バイクが先導。試合会場では日本国歌が流れた際にブーイングが飛ぶなど、反日感情の洗礼を受けた。

 また選手村から気軽に出ることが出来なかったことで、特に苦労したのが食事面だったようだ。出された食事は飽きてしまうものが多く、体重管理が難しかった。スタッフが差し入れた『すき家』の牛丼を頬張ることもあったという。

 しかしいつしかそんな状況も楽しめるようになっていた。

 角は言う。「(反日感情は)誰一人、気にしていなかった。ブーイングされてるねー、みたいな。それこそ馬場晴也さんが『結果が黙らさせる』と言っていたけど、僕たちはピッチで結果を出して勝つだけだった。(コミュニケーションの部分では)時間はかかったかもしれないけど、最後の決勝に向けた雰囲気なんかは、初日には考えられないくらいになっていました」。

■やれるなという部分がたくさんあった

 一番の収穫はプロ選手との距離感を間近で図れたことだろうか。

 今野は来季からガンバ大阪でプロ生活を始めることを決めている。今夏も8月の大学リーグ中断期間を利用して、G大阪の活動に合流。試合に絡むことこそ出来なかったが、「J1の強度をしっかりと感じてきた」という。

 今夏の総理大臣杯ではコンディション調整に苦しみ、ベンチ入りを外れて応援席で太鼓を叩いた試合もあったが、アジア大会を経験したことで自信を取り戻したようだ。チームは残留争いの真っただ中だが、経験をチームに還元することでチームを上昇気流に乗せたいと考えている。

「やれるなという部分はたくさんありました。でもプロの選手は普段Jリーグでやっている分、落ち着きは自分たちよりは一段階上のものがありました。やっぱりあの日本代表のユニフォームを着て戦った全員が残り続けたいと思っていると思う。代表で感じたものを持ち帰って、普段の練習だったり、試合でやっていかないと、どんどん落ちていくだけだと思うので、悔しさだったりは日々忘れずにやっていきたいです」

 現在大学3年生の角も、プロの舞台をより明確にする大会になったと振り返る。「筑波に帰ってきても自分の基準が上がっているなと感じた。心の部分ではアジア大会に参加する前よりは燃えているなというのはあります。自分の中でプロになることは大前提。なる自信もあるので、そこはあまり意識しない。それこそプロで活躍するところ。海外で通用することを踏まえると、まだまだ足りないものはあって、意識高く練習するしかないのかなと思います」。

 すでに複数のクラブからの接触もあるようで、いろいろな可能性を探りながら、来シーズンを迎えることにもなりそうだ。

「練習参加したクラブもあります。でもまずは筑波で日本一を獲りたいという目標がある。まだ筑波でやるべきことがたくさんある。最近の筑波はトーナメントに弱いという雰囲気が最近はあって。でも今はリーグ戦1位できているので、まずはリーグ戦優勝をして、インカレ優勝に向かっていきたいと思います」

 少なくとも、今後のサッカー人生に向けた分岐点のひとつになる大会になったことは、間違いはなさそうだ。

(取材・文 児玉幸洋)
●第97回関東大学L特集
児玉幸洋
Text by 児玉幸洋

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