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エスコートキッズの“凱旋試合”。仙台育英DF石田隼也がエディオンスタジアム広島で味わった90分間の感慨

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エディオンスタジアム広島への“凱旋”を果たした仙台育英高DF石田隼也

[12.10 プレミアリーグプレーオフ1回戦 前橋育英高 4-0 仙台育英高 エディオンスタジアム広島]

 小学生の頃から憧れていたスタジアム。思い出だって、数えきれないほどたくさんある。地元を離れて3年。いわゆる“凱旋試合”はややほろ苦い結果となったが、それでもこの90分間は、これからの自分に大きな勇気を与えてくれる。

「自分もプロを目指したいと考えていますし、ずっと憧れていたピッチだったので、もう一度ここでプレーできるような選手になりたいなと思います」。

 生まれ育った広島へ、しかもエディオンスタジアム広島への帰還。仙台育英高(宮城)の右サイドバック、DF石田隼也(3年=サンフレッチェ広島F.Cジュニアユース出身)は特別な時間の余韻を噛み締めていた。

 サンフレッチェの下部組織に入ったのは小学校5年生の終わりごろ。当時からエディオンスタジアムは憧れであり、目標のステージだった。「小学校の時にトップチームの前座試合もやらせてもらって、凄く楽しかったんですよね」。フォワードを務めていたこともあって、佐藤寿人が自身のアイドルだったという。

「チャンピオンシップのガンバ大阪戦の時には、エスコートキッズをやらせて戴いて、自分が付いたのは柴崎晃誠さんだったんですけど、それも凄く嬉しかったです」。いつかは自分も、このピッチに選手として立ちたい。漠然としたイメージとして、その想いはずっと持ち続けてきた。

 高校は「県外で自分を強くしようと思いましたし、もっと自立しようと」親元を離れ、仙台育英に進学。もちろん当時から、プレミアリーグプレーオフが地元で開催されていることは知っていた。「もう入学した時から『広島で試合ができたらいいね』と話していました」。“凱旋”は明確な目標として、自分の中で抱えてきた。

 ただ、1年時はプレーオフ進出を逃し、2年時は開催自体が中止。今年に入ってようやく自身もレギュラーを掴み、主力として積み重ねたリーグ戦の結果で、“凱旋”のチャンスを掴み取る。しかも抽選の結果、初戦の会場はエディオンスタジアムに。「決まった時には『おお!あそこでできる!』とは思いました。やっぱり小さい頃からこのスタジアムでプレーしたかったので」。気合が入らないはずがない。

「前育さんに試合自体を支配されて、難しい試合だったなという感じです」。結果は前橋育英高(群馬)に0-4と完敗。「1人1人のポジション取りが上手くて、そこに食い付いてしまったらこっちをやられる、みたいな。いろいろなところを見ないといけなくて、どんどん人が連続して動くようなサッカーで、トラップも含めた1つ1つの技術が上手かったです」。前半だけで3失点。守備陣にとっては難しい90分間を強いられた。

 それでも、吹っ切れた後半は持ち味を披露する回数も確実に増えていった。「前半は引き気味になってしまって、後手に回っていたので、後半は『前から行こう』という声を掛けて、思い切って行きました」。後半の右サイドはメインスタンド側。会場に駆け付けていた家族の前で、何度も果敢なオーバーラップを繰り返した。

「仙台は凄く遠いですけど、家族は普段も応援に来てくれたりしているんです。でも、今回はこのスタジアムでプレーを見せることができて、良かったなと思います」。“約束の舞台”に立つことを叶えた石田は、改めてサッカーの楽しさを感じていた。

 残されたのは選手権のみ。過去2年はピッチの外から試合を見つめていた石田にとって、これが最初で最後の晴れ舞台だ。「今日こういう強い相手と試合ができて、改善点も課題も見つかったので、それを仙台に持って帰って、選手権に向けて練習から自分を高めていこうと思います」。

 エスコートキッズだった少年は、逞しく成長して、あの日と同じピッチを自らの両足で駆け抜けた。夢は見るものであり、叶えるもの。石田が願う次の大きな夢だって、きっと努力次第でいくらでも引き寄せられるはずだ。

(取材・文 土屋雅史)
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