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東口順昭の雑草魂

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苦労人の東口順昭

 必死に腕を伸ばしても、ボールにはわずかに届かなかった。0-0で迎えた前半32分、GK東口順昭はパラグアイ代表のオスカル・ロメロに左足ボレーシュートを決められ、そのまま0-1で折り返す。後半からGK中村航輔に交代し、巻き返しのチャンスはもらえなかった。

「結果を出すことでチームの底上げになるし、流れが変わるきっかけになる。大事な試合になると思う」

 試合前日にこう明かしていた東口にとっては絶好のアピールチャンスだった。日本代表は昨年12月の中国代表戦を最後に5戦勝利から遠ざかっていた。西野朗監督に交代後の2試合はいずれも、先制点を献上。守備陣の連携不足から生じる相手選手へのマークの甘さが、失点に直結した。正GKを川島永嗣から奪うためにも、東口はこの試合の前半、無失点に抑えることが不可欠だった。

 結果的に1失点した東口はその悔しさを胸にしまい、仲間の健闘を素直に喜んだ。後半2得点したMF乾貴士や、ロスタイムに得点したMF香川真司がベンチ前に駆け寄ってできた歓喜の輪に、東口は笑顔で加わった。

「W杯へのアプローチという意味で、どの選手が出ても大事な試合。チームとしてどう戦っていくかを示すことができれば、いい形でW杯に入ることができる」

 東口がフォア・ザ・チームに徹することができるのは、順風満帆ではなかった経歴と無縁ではない。中学時代、G大阪のジュニアユースでプレーしたが、身長170cmに満たない小柄な体だったため、ユースにあがれず。京都・洛南高から進学した福井工業大では2年時にサッカー部が解散してしまい、新潟経営大学に転入。そこで、Jリーグ、アルビレックス新潟のスカウトの目にとまらなければ、東口はプロ選手になっていたかどうかもわからなかった。

 新潟の監督として2年間、東口を指導した柳下正明氏(現・ツエーゲン金沢監督)は当時をこう振り返る。

「私が監督をしていたときは東口は右膝の前十字じん帯を2度痛めて、リハビリの期間が長かった。それでも、ガンバからずっと獲得オファーが届くほど、潜在能力は高かったんです。でも東口は『新潟に育ててもらった』という恩義を大切にしていて、すぐには移籍しなかった。新潟に移籍金(推定約1億円)を残せるように配慮したところに、彼の感謝の気持ちが表れていると思います」

 自分を見出してくれた恩人がいて、一緒に戦える仲間がいるから、初めてサッカーができる。東口がガンバに移籍する際、クラブを通してこんなコメントを残している。

「これまでのサッカー人生を通して諦めない気持ち、何度挫折しても必ず這い上がるんだという信念が生まれました。僕がサッカーを通して伝えられるのはそこだと思う」

 倒れても、何度でも立ち上がる。東口の生き様が、日本代表躍進のエンジンとなる。

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