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「ここで逃げたら、誰も付いて来てくれない」。三輪椋平は覚悟持って青森山田のDFリーダーを貫徹

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青森山田高のDFリーダー、CB三輪椋平(写真協力=高校サッカー年鑑)

[1.10 選手権決勝 大津高 0-4 青森山田高 国立]

 覚悟を持って「常勝軍団」のDFリーダーをやり抜いた。CB三輪椋平(3年=青森山田中出身)はこの1年間、高校ナンバー1DFだったCB藤原優大(現相模原)の後継者として青森山田高(青森)のDFラインをコントロール。プレミアリーグEASTでは16試合でわずか9失点、選手権でも初戦から準決勝までの被シュートは4試合中3試合で3本以下、総失点2という堅守で決勝まで勝ち上がった。

 そして、決勝では脅威の被シュートゼロ。クレバーでハードワークもできるCBは、ハイプレスに連動する形で前に出て、大津高アタッカー陣に自由を与えなかった。また、背後へのボールに対してもいち早く反応。チームメートとともに付け入る隙を与えず、90分間を終えた。

「最後なんで楽しくやるというのが一番にあったんですけれども、ゼロで行くとか、山田のやるべきことをやるということを徹底していれば絶対に負けないと。自分もさすがにシュートゼロで行くなんて……大津さんも強いので、そこまで思っていなかったんですけれども、シュートゼロになったのでそこは良かったと思います」。青森山田中高6年間のラストゲームで、思い描いていた以上の守り。そして、優勝の瞬間を「6年間の集大成としてここの日本一を目指してきたので、最高の気分でした」と振り返った。

 今年は昨年のチームから4バックが総入れ替え。プレミアリーグ開幕前のフェスティバルでは追いつきながらも失点して競り負けたり、逆転負けする試合があった。不安視されていたDF陣。そのリーダーは自分の責任を感じていた。前任者の藤原は味方のミスをもカバーしてしまうほど絶大な存在。自分には先輩のような特別な能力がある訳でもない。悩みもあった。だが、三輪は逃げなかった。覚悟を持って臨み、戦い、仲間と助け合って勝ち取った“3冠”。この1年間は三輪のサッカー人生にとってかけがえのないものになった。

「ここで逃げたら、誰も付いて来てくれない、というか、自分がその役割になった以上は一年間(上手く行かないことがあったり、)もちろん厳しいことも言われたんですけれども、その覚悟というのを一番心の中に置いて、『山田のDFリーダー』として一年間やってきたのは本当に自分の今後のサッカー人生にとっても良い経験になったと思います」

 高校3年生で成し遂げた成績は、藤原を超えた。ただし、三輪はプレーヤーとしての藤原との距離を感じている。「一年間振り返ってみると、優大さんだったらもっとやっていたのかなというのがあるので、あの人は自分がナマで見てきた中で一番理想というか、凄い先輩だったのでこれからも見習いたいと思います」。進学する強豪・順天堂大での4年間を経て、自分も先輩と同じステージに立つことを目指して行く。

「高校で日本一を経験できたんですけれども、個人としてもっと上を目指さないといけないと思うので、山田の6年間で相当学べたので、その経験を活かして、大学でしっかり勝利に貢献できるプレーヤーになりたいと思います」

 20年度大会決勝(対山梨学院高)で交代出場した三輪はPK戦で4人目に登場して失敗。「去年の3年生には謝っても取り返しのつかないこと」という経験をした。その自分に対し、「本当に優しかった」先輩たちは優しく声を掛け、励まし、今大会期間中もメッセージ。その言葉も力に、「絶対にリベンジして勝つ」という目標を達成した。6年間、選手権決勝の日まで学ばせてもらった青森山田、そして先輩たちにも届けたタイトル。大学進学後、順風の日々が続くとは限らない。それでも、青森山田で逞しく乗り越える経験をしたCBは、これからのステージでも前を向いて挑戦を続ける。

(取材・文 吉田太郎)

(※青森山田高の協力により、リモート取材をさせて頂いています)
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