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ガン乗り越えた!大宮アンバサダーの塚本泰史さん“奇跡の”東京マラソン完走!!

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 大宮アルディージャのアンバサダー(親善大使)を務める塚本泰史さんが26日、東京マラソンに参加し、6時間35分57秒で完走した。右大腿骨骨肉腫(ガンの一種)を乗り越えて挑んだ初のフルマラソンで快挙を成し遂げ、ゴール直後は「何度もダメだと思いましたけど、応援の力が本当にすごかった。一人では絶対に完走できなかった」と興奮気味に喜んだ。病気が発覚した際にチームメートからもらった激励メッセージ入りのユニフォームを下に着込み、3歳年上の兄・浩史さん、チームの了承を得て参加した大宮の和田哲治チーフトレーナーが伴走する中で力走。沿道からの声援には手を振って応えた。過去にフルマラソンを経験している和田チーフトレーナーは「25キロぐらいまでかなと思っていた。完走なんて絶対にできないと思っていたのに、あいつは瀬戸際では本当に強い。すごい」と塚本さんの健闘を称賛した。

 コースには35キロまでの5キロ毎と38キロ、41.5キロの最終関門まで合計9か所に関門が設置されており、それぞれに通過制限タイムが設けられている(10か所目となるゴールを7時間と設定したもの)。塚本さんは、午前9時10分の一斉スタートで都庁を出発。飯田橋手前の5キロ地点、皇居周辺の10キロ地点を順調に通過した。この日に向けて毎日10キロを走り込んだが、その先は未知の領域だった。25キロ地点で通過タイムが制限時間の約10分前と苦しくなり次の関門が心配されたが、ラップタイムを約5分縮めて30キロ地点の両国橋も制限時間を免れた。

 足と腰に蓄積した疲労が目立つようになった後もペースを保ち、築地に設けられた35キロ地点も制限時間の約2分前に通過する驚異的な粘りでゴールへたどり着いた。リハビリを手伝っている和田トレーナーは「前半はゆっくり。本人は絶対に歩かないという気持ちでスタートしていたから、序盤はトイレ休憩をあえて多めに取って少し休ませた。途中から良いペースが作れたし、35キロまで行けたらあとは気合い」と前半をスローペースで進むことは予定通りだったことを明かしたが「痛みが出たら止めるのが僕の役目。いつ止めることになるのかという想像しかしていなかった。患部の痛みはなかったけど、ほかの部位には負担がかかっていた。腰や逆(左)足は、けいれん気味になっていた。それでも走れたのは、トレーニングをしてきた成果かなと思う。無事で良かった」と後半の粘りと追い上げ、患部の耐久度が想定以上だったことを明かした。

 塚本さんは駒澤大を卒業した2008年に大宮へ入団。プロ2年目の2009年には右DFとして先発に定着し、得意の直接FKで2得点を挙げるなど活躍した。しかし、同年末に右大腿骨骨肉腫(ガンの一種)と診断を受け、腫瘍の切除および人工関節置換の手術を行った。病状が発覚したときから、激しい運動は人工関節を損傷させる可能性がありプロとしての再起が難しいことは医師から告げられている。実際に早期の復帰は困難なため昨季限りで選手契約を解除し、今季はアンバサダーとしての役目に変わった。

 それでも、塚本さんは「奇跡の復活」を諦めず、クラブの協力を得て精力的にリハビリに取り組んでいる。昨夏にはほぼ毎日、2時間近く筋力トレーニングや自転車トレーニングを中心に運動を行うほどまでに回復。10月にはグラウンド外でのランニング、11月には坂道トレーニングをリハビリメニューに導入した。松葉杖なしには歩けなかったことが信じられないほどの回復ぶりを見せ「目先の目標も欲しい」と東京マラソン参加を決めた。それでも周囲からは心配も含めて「完走は難しい、無謀だ」と言われたが「病気になってもここまでできるということを見せたい」と姿勢を崩さなかった。主治医からも「完走できたら奇跡」と言われた挑戦だったが、見事な有言実行となった。


<塚本泰史さん 通過タイム>
ゴール:6時間35分57秒
40キロ:6時間14分33秒
35キロ:5時間25分48秒(制限5時間27分)
30キロ:4時間38分51秒(制限4時間46分)
25キロ:3時間50分50秒(制限4時間03分)
20キロ:2時間59分34秒(制限3時間21分)
15キロ:2時間13分07秒(制限2時間37分)
10キロ:1時間33分33秒(制限1時間54分)
5キロ:0時間44分24秒(制限1時間20分)

(取材・文 平野貴也)

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