beacon

「未知との遭遇」への戦支度。U-18日本代表の苦い初陣、「世界」への助走

このエントリーをはてなブックマークに追加

U-18日本代表が2年後のU-20ワールドカップへ向けてスタートを切った

[8.20 SBS杯第3節 U-18日本代表 2-2(PK3-5)U-20関東大学選抜 エコパ]

 船越優蔵監督を迎えたU-18日本代表は、8月17日から開催されたSBSカップ国際ユース大会に臨み、1勝2敗(1PK負け)という結果に終わった。初戦でU-18韓国代表に0-1と惜敗し、続く静岡ユース戦こそ勝利したものの、U-20関東大学選抜には2-2からのPK戦で敗北。2年後のU-20ワールドカップを目指すチームの初陣は、苦い後味を残して終幕となった。

 初めての招集機会ということもあり、事前の準備段階では「まずはこのチームが目指すのがどこなのかを伝えたい」(船越監督)という位置付けを選手たちにシェアするところから始まった。

「まずは全体を網羅して、ゾーンごとの守備、ビルドアップ、崩しのところ、切り替えの局面2つ、あとセットプレーの基本的なやり方を、映像を交えて伝えました。ミーティングは10回くらいやりましたが、全部が頭に入ったかというと、そうじゃないと思います。ただ、それは承知の上で、まずは薄く全体を共有して、これからの合宿ごとにテーマを決めて細かく落とし込んでいきたい」(船越監督)

 SBSカップに勝つことだけにフォーカスするなら、もっと違うやり方もあるだろうが、「そこは僕らの目的ではない」とも船越監督は強調する。代表チームとして一つ一つの試合での勝利が求められるものなのは承知しているし、また求めもするのだが、「あくまで目標は世界」(船越監督)。そこからの逆算でチームを作っていく考えだ。

 指揮官はこうも言う。

「なぜ自分にこの仕事が与えられたのかという意味は考えている」

 今年5月に開催されたU-20ワールドカップで、日本は1勝2敗でグループステージ敗退。厳しい結果に終わった。そのとき、コーチとしてベンチに座り、「あそこで痛感させられたものがたくさんあるし、それを伝えないといけない」と言う船越監督は、今後も継続的に世界大会での経験値は選手たちにフィードバックしていく考えだ。

 U-20日本代表の冨樫剛一監督は、「大会が終わったあと、(船越)優蔵は『世界大会で日本の選手がどうなるのかを知った状態でチームを立ち上げたときからやり直したい』と言っていた。そんな彼だから、きっとできることがある」と言う。

 代表チームは時間との戦いになるものだが、この年代は特にそうした傾向が顕著となっている。まだ世界大会まで「期間」はあるのだが、代表チームとして活動する「時間」はない。実際、今年のU20アジアカップ、U-20ワールドカップは共に事前の候補合宿などはなく、ぶっつけ本番で臨むことになった。

 Jリーグで出場機会を得ている選手の招集は困難で、近年は欧州組も急増。「本番だけ呼べる」という選手も珍しくない。今回のSBSカップでも、FW後藤啓介(磐田)、FW貴田遼河(名古屋)、MF早川隼平(浦和)、DF市原吏音(大宮)といったJリーグに出場している選手たちは不在。世代の主軸と目される選手たちがいない中でもチームにしていく必要があるのだから、やはり簡単な作業ではない。

 何を捨てて何を徹底できるかが問われる中で、船越監督の持つ経験値は一つのアドバンテージだろう。

「世界大会は彼らにとって『未知との遭遇』になる。日本で行われているサッカーとは違うものがあそこにはある。そこでビックリして終わるようなことにしないように準備していきたい」

 そう語った船越監督は、「世界と戦うために必要なのは、『or』じゃなくて『and』なんです」と強調して、こう語る。

「国際大会で相手が見せる激しさ、厳しさに対して、うまくいなしていくような技術・戦術も大事にしていきたい。そして同時にそこへ立ち向かっていける、相手の土俵に乗せられても戦える強さも求めたい。この二つは『or』じゃない。『and』にできないと、あそこでは絶対に勝てない」

 シビアな経験で始まったU-18日本代表の戦い。主将を務めたDF桒原陸人(明治大)は「自分を含めて全然足りていなかった」と肩を落としたが、苦い経験が将来の財産になることもよくある話。現時点ではコロナ禍の影響で代表経験の少ない選手たちが多い世代が「足りなさ」をそれぞれ体感したこと、急造の代表チームが「勝つ」難しさを味わったこと自体をポジティブに解釈するべきだろう。

 船越監督は「『あれが足りない』『これができていない』と言ってばかりでも仕方ない。この段階から、この先に向けて何が必要なのかをしっかり考えて落とし込んでいきたい」と前を向き、「アジア予選やワールドカップで苦い経験をするより、今のうちにしておいたほうがいい」とも言い切る。

 2年後、世界舞台に向けての戦いが、まさにここから始まった。

(取材・文 川端暁彦)
川端暁彦
Text by 川端暁彦

TOP