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サッカー日本代表史上初のチームドクター「アジアスポーツ医学の父」と称される大畠襄氏が死去…AFC公表

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大畠襄氏(写真は2008年のプロスポーツ功労者文部科学大臣顕彰受賞式)

 アジアサッカー連盟(AFC)は13日、公式サイトで元日本代表のチームドクターで「アジアスポーツ医学の父」と称される大畠襄氏が今月に亡くなったことを伝えた。93歳だった。

 大畠氏は1970年のアジア大会から約10年間、日本代表にチームドクターとして帯同した。JFAによると、この大会から日本代表にチームドクター制度を設定したという。翌年には浦和レッズの前身チーム・三菱重工サッカー部のチームドクターにも就任。JFAスポーツ医学委員長を務めたほかJリーグにドーピングコントロールを導入するなどし、JFAは「医学管理の重要性を日本サッカー界に浸透させた」と公式サイトで紹介している。

 82年から06年まで国際サッカー連盟(FIFA)スポーツ医学委員会委員、83年から02年までAFC医事委員長を務めるなど国際的にも活躍し、ワールドカップでは90年のイタリア大会から5大会連続で医学部門の指揮を執った。FIFA功績認定証を授与されたほかAFC功労賞は2度受賞。06年に引退し、10年にJFAの日本サッカー殿堂に選考された。

 AFCのサルマン・アル・ハリファ会長は公式サイトを通じ、以下のように哀悼の意を表している。

「大畠先生の訃報に接し、心から悲しんでおります。AFCの全ファミリーを代表し、友人、家族、そして大畠先生を知るすべての人に深い哀悼の意を表します」

「大畠先生は日本やアジアだけでなく、世界のスポーツ医学とそれに関わる様々な点を改善するために人生の多くを捧げられました」

「アジアスポーツ医学の父と呼ばれ、次世代の人々に道を開きました。大畠先生の多大な貢献により、彼のレガシーは生き続けることを確信しています」
ゲキサカ編集部
Text by ゲキサカ編集部

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