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移籍早々のトラブル…サポーターへ恩返し誓う浦和DF森脇「優勝しか似合わない」

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 いきなりの“独演会”だった。15日に埼玉スタジアムで行われた浦和レッズの新加入選手記者会見。その冒頭、他の4選手が簡潔なコメントで最初の挨拶を述べる中、DF森脇良太は「私事の話で恐縮なんですが……」と、突然とうとうと語り出した。

 引っ越しの準備を済ませ、13日の午後2時半ごろに車で広島を出発したという森脇。埼玉のホテルに到着したのは日付が変わった14日の午前2時近くで、そのまま就寝した。ところが、新居探しにあてるつもりだった14日朝、「ホテルから出ようとしたら一面、真っ白で」と、突然の大雪に見舞われた。

 それでも車で不動産屋に向かったが、当然のように「今日はこの状況だからマンションは見れません」と言われ、引き返すことに。「上り坂もあって、僕の車はスタッドレスタイヤじゃなくてノーマルタイヤだった。さすがに車を走らせている場合じゃないと思って、路肩に止めて、もう車の中で1泊過ごすしかないかなと」。そんなときに浦和のマネジャーやDF槙野智章から電話があり、“助け”を求めると、槙野のほかにもMF宇賀神友弥やGK加藤順大が駆けつけてくれたのだという。

「地域の住民の方も手伝ってくれて、車を動かしてくれて、何とか駐車場に入れることができた。浦和に来て早々に迷惑をかけてしまって、困ったところでいきなり助けられた。ほんとに温かい街だなと恩を感じました。このクラブのためにしっかり結果を出さないといけないとあらためて思ったし、昨日いただいた恩は必ずピッチで返します」

 移籍早々の“トラブル”を助けてくれたサポーターへの感謝と恩返しを誓った森脇だったが、あまりの話の長さに「落ちのない話ですみません」と苦笑い。記者会見を終えて控室に戻ると、「他の選手から『話が長い。まとめろ』とお叱りを受けました」と、“突っ込まれた”ようだ。

 浦和での背番号は46に決まった。広島時代は24番を付けていたが、浦和の背番号24はFW原口元気。「浦和の顔、将来を担う素晴らしい選手がいる」と、ひと際目立つ「46」という大きな番号を選んだ。「4月6日生まれなので、46番にしてもらった。『4×6=24』というのもあって」。さらに報道陣から「『よろしく』の46かと思った」と言われると、「それも入れましょう」と快諾していた。

 昨季、Jリーグを制した広島からの完全移籍。槙野やMF柏木陽介という広島時代のチームメイト、ペトロヴィッチ監督という広島時代の恩師の存在もあったが、「移籍に関してマキ(槙野)にも(柏木)陽介にも相談は一つもしていない。『どうすんの?』と聞かれても『分からない』と答えていたし、自分自身が決断した。相談したのは家族だけで、監督とも話していない」と力説した。

「(浦和は)優勝するのがあるべき姿だと思うし、優勝という文字しか似合わない。タイトルを獲ることに集中してやっていきたい」。狙うは、個人としての“J1連覇”。真新しい赤のユニフォームに袖を通した森脇は「まだまだこのユニフォームが似合っていない。活躍することで、この赤のユニフォームを自分のモノにしていきたい」と誓っていた。

(取材・文 西山紘平)

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