beacon

「全力でサポートしたい」浦和移籍の興梠、母校・鵬翔への寄付も約束

このエントリーをはてなブックマークに追加

 高校卒業後、9シーズンを過ごした鹿島から初めての移籍先に浦和レッズを選んだのには2つの理由があった。15日の新加入選手記者会見に出席したFW興梠慎三は「鹿島に入団したときも一番最初に声をかけてくれたのが鹿島だった。今回も、移籍しようと思ったときに一番に声をかけてくれたのが浦和だった」と第一の理由を挙げ、「もう一つは去年鹿島でプレーしていて、(相手として)一番やりづらかった、一番魅力的なプレースタイルだったのが浦和だった」と説明した。

 昨季も鹿島で30試合に出場し、11得点を記録している興梠だが、終盤の8試合で先発したのは3試合のみ。出場機会の減少も、移籍に踏み切る要因の一つにあった。昨季は開幕戦から3試合連続のベンチスタート。「開幕戦に先発で出ることができなくて、そのころから軽く声をかけてもらっていた。そのときは(鹿島を)出る気はなかったけど、徐々に浦和のサッカースタイルを見て、こういうサッカーをしたいなと思うようになった」と、揺れ動いた心境を語った。

 05年入団から鹿島一筋で、毎年のようにタイトルを獲得してきた。ライバルチームへの移籍は「非常に悩んだ」が、「サッカー人生はそんなに長くない。ペトロヴィッチ監督のサッカーが大好きだったので、移籍を決めた」と、その決め手を語った。

「他のユニフォームを着たことがなかったので、身が引き締まる気持ち」。浦和の新ユニフォームに袖を通し、あらためて決意を強くする興梠。背番号は30に決まり、かつて福田正博氏や永井雄一郎が付けたエースナンバーも空いていたが、「付ける勇気がなかった」と率直な気持ちを明かした。

 母校でもある鵬翔高(宮崎)は全国高校サッカー選手権で宮崎県勢として初の決勝進出を果たした。「テレビでしか見てなかったけど、心を打たれている」という興梠は、降雪のため19日に順延された決勝は東京・国立競技場まで応援に駆け付ける予定だ。

 昨年11月に宮崎県大会で優勝し、6年ぶりの全国高校選手権出場が決まった際には30~40足のスパイクも贈った。決勝が延期されたため、15日にいったん宮崎へ戻った鵬翔だが、高体連から補助金も受けているとはいえ、遠征費などの負担増に伴い、同校が募金活動も検討していることを受け、「お世話になったし、全力でサポートしたい」と、母校への寄付を約束していた。

(取材・文 西山紘平)

▼関連リンク
2013年Jリーグ移籍情報ページ

TOP