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地域CLで刻んだ新たな歴史…FC徳島指揮官は26歳自動車整備士「もっとサッカーを追求したい思いが強くなった」

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FC徳島の阿部貴也監督(左前列)

 3年連続で全国地域チャンピオンズリーグ(地域CL)参戦を果たしたFC徳島だったが、クラブ史上初めての決勝ラウンドは3連敗。JFLへの挑戦権をかけた最終決戦の壁は、目の前に高く立ちはだかった。

 FC.ISE-SHIMAとの初戦は開幕ゲームゆえの硬さが目立ち、早々にセットプレーで失点。後半は積み上げてきたポゼッションサッカーで盛り返したが、ゴールが遠いまま0-1で敗れた。おこしやす京都ACとの第2戦は立ち上がりから試合を優位に進めながらも、後半にアンラッキーな一発退場。そこから一方的な劣勢を強いられ、0-2で敗れた。Criacao Shinjukuとの最終戦では前半にスーパーゴールで先制。大会王者を一時追い詰めたが、後半は相手の破壊力に屈して1-2の逆転負けに終わった。

「自分の話になってしまうんですが、この大会中は『自分がもう少し優秀であれば……』ということを何度も思いました」

 そう悔やんだのは、大会期間中に26歳の誕生日を迎えた阿部貴也監督。クラブスポンサー『ネッツトヨタ徳島』の販売店で自動車整備士として勤務しながら、今季途中から指揮官に抜擢されたばかりの新米監督だ。

阿部監督

「正直、自分が監督をするなんて1ミリも思っていなかったんです」(阿部監督)

 県内の名門校・徳島商高でGKを務めていた阿部監督は高校卒業後、同校のGKコーチとして指導者キャリアをスタート。小松島高でも同じくGKコーチを務めていたが、昨季のFC徳島加入を機に運命が大きく動いた。犬塚友輔前監督のもとでヘッドコーチ兼任の役目を与えられると、今年5月から急遽指揮官を任されたのだ。

 地域リーグとはいえ、25歳での監督就任は異例の若さ。当初は周囲からは厳しい目も向けられていたという。

「自分はただの平社員で、会社の理解をいただいて、夕方から練習に行かせていただいているという立場。若くて経験もないのに何ができるんだと言われてきましたし、いまもちょっと強がってピッチに立っている部分もあるかもしれないです。ただ、経験がないものはないので、そこは割り切りながらやってきました」(阿部監督)

 そんな謙虚さとは裏腹に、若き指揮官はクラブに大きな飛躍の一年をもたらした。第5節から引き継いだ四国リーグを中断前全勝で終えると、地域CLでは初の決勝ラウンド進出という偉業を達成。過去の一次ラウンドでは輪番枠で出場した2019年が3連敗、初めて四国王者として出場した20年も1勝2敗に終わっており、2勝1分での無敗突破はめざましい結果だ。

 また決勝ラウンドも3連敗という結果には終わったものの、選手たちのパフォーマンスには光るものがあった。相手になかなかスキを与えない3-5-2をベースとした守備ブロック、相手のシステムに合わせて積極的にアプローチしていくプレッシング、強力なウイングバックを活かす狙いを持ったビルドアップはいずれもハイレベル。それぞれ一朝一夕では積み上げられなかったであろう練度を感じさせていた。

「このサッカーをやっていたらうまくいかない時期はもちろんあったんですけど、これを伸ばせば絶対に強みになるというのは選手たちに言い続けてきました。トレーニングマッチでやられてしまうこともあったんですが、このやり方を夏くらいからずっと続けて折れずにやってきたので、みんなで成長してきてチームのベースができたんじゃないかなと思います」(阿部監督)

 強豪相手にもただ守るだけに終わらないチームの姿勢は、犬塚前監督が積み上げ、阿部監督が引き継ぎ進化させてきた。そんな若き指揮官のチームビルディングには、選手兼コーチという役割を担ったMF松本圭介(33)、MF須ノ又諭(32)の存在も欠かせなかったという。

「彼らも僕のことをリスペクトしてくれましたし、僕自身も彼らをリスペクトしています。関係性の中でいい意見をいただいて、僕はそれを活かす。また僕の意見も二人がのんでくれて、うまくスタッフの中で協力してこのサッカーを作れました」(阿部監督)

 昨季までFC大阪に所属していた須ノ又は、JFLでも豊富なプレー経験を持つMF。地域CLでも初戦から先発を担い、厳しいレッドカードで一人少なくなった第2戦では数的不利を感じさせない鬼気迫るプレーを見せていた。

須ノ又

 第2戦おこしやす京都戦の試合後、須ノ又は「俺は年も取っているしもういいけど、若いヤツには可哀想でした。人生潰してるんで」と不運な一発退場処分を下された後輩を思いやりつつ、今季のチームビルディングを振り返っていた。

「監督も含めて選手全員が若くて経験がないやつばかりなので、みんなの意見を拾いながらやってきて、ここまでチームとして一体化できたと思います」

「僕らは(地域CLに出ている)他の3チームに比べたら、選手兼コーチで俺なんかが入っているチームだし、問題はあるチームだと思う。ただとにかく地決(地域CL)はボコンって蹴って、前でなんとかすればいいというサッカーだけは負けてもやめようとはずっと言い続けてきた。良いサッカーをして、それで負けるなら自分らが悪い。それだけはやり続けてきたかな」

 自分たちが積み上げてきたものを出し切る——。そんな姿勢は2連敗で2位以内の可能性が絶たれ、“消化試合”となった最終戦Criacao Shinjuku戦でのパフォーマンスが象徴的だった。

「僕たちも手ぶらでは帰れない。いろんな人たちが支えてくれて、いろんな人たちが応援してくれて、徳島から見てくれている。その思いを背負わないといけない。初めてこの舞台に立たせてもらって(足りないことに)気づいたこともあるけど、とにかく勝ちに行く。必ず勝って徳島に帰りたい」

 第2戦の試合後に阿部監督が熱く語っていたとおり、FC徳島は関東王者に対して序盤からインテンシティ高い攻防を展開。すると前半19分、MF秋月駿作がミドルレンジからの凄まじいカットインシュートで先制点を突き刺した。秋月は普段、ストッパーで起用されている選手だが、この日はウイングバックでの出場。指揮官の抜擢に応える一撃は、クラブの歴史を切り拓く決勝ラウンド初ゴールとなった。

阿部監督と抱擁する秋月

 ゴールが決まった直後、秋月は真っ先に阿部監督のもとに走って向かい、熱く抱き合った。二人はともに1995年生まれの同い年。特別な思いを持って関わり合ってきたという。

「実は秋月は同い年で、このチームに来てから2年間でいろんな話をしてきて、監督としては平等に見ているけど特別な思いで見ていた選手ではあったので、その選手が点を取ってくれたこと、ベンチに向かって走ってきてくれたことはすごくうれしかったですね」(阿部監督)

 そう熱く振り返った指揮官とのエピソードを、秋月も次のように明かした。

「今日も普段どおり3センターバックで準備していたけど、朝にウイングがあるかもしれないと言われていた。監督とは同い年で、2敗していていて、勝って帰りたいと言っていたので、監督に勝ちを上げられるような仕事ができればと思っていた。絶対に一本目はシュートを打ちたいと思っていたので、あの形が出てよかった」

「去年でこのチームを本当はやめようと思っていたけど、なかなかチームが決まらなくて、監督から『チームがないなら1年だけでも……』と誘われて戻ってきたんです。最後の締めくくりとしてとてもよかったと思います」

 このエピソードは監督と選手の関係性というだけでなく、FC徳島のクラブとしての強みも示唆している。一度はクラブを離れようとしていた選手が、再び戦力としてクラブに貢献する——。こうした前向きな流れが実現した背景には、クラブに「徳島の地で選手それぞれの夢と希望を実現する!」という理念が掲げられている影響も大きい。

 地域柄もあって選手獲得が容易ではないFC徳島において、上位カテゴリへの“個人昇格”は忌避されるものではなく、むしろ大きな栄誉。退団選手の発表リリースでは「4年連続で選手を上位カテゴリーに送り出すことが出来たことを大変うれしく思う」とさえ表現しており、そうした機運はクラブ全体で意識的に作り出されている。

 地域CLで大きく名を上げた秋月も「このチームで上に上がれるなら上がりたい」とクラブへの思いを述べつつ、「どんどん自分でいろんなチームに練習参加したりも許されているので、その中でチャレンジして上のカテゴリに個人昇格というのも考えている。(今大会の活躍で)気持ち的にもチャレンジできると思う」という野望は隠さなかった。

秋月が地域CL決勝ラウンド初ゴール


 活躍した選手が抜かれれば、クラブにとっては大きな痛手だ。しかし、個人昇格に燃えるような野心ある選手が集まることは、クラブにとって大きなメリットとなる。FC徳島は今季、JFL昇格を果たすことはできなかった。だが、こうしたチームビルディングを続けながら成長を目指していくのは一つの有効な生存戦略だろう。

 またそうした変わりゆく宿命にある地域リーグのクラブにおいて、その地域に根ざした若き指導者が誕生しつつあるのは今後に向けた大きな財産となりそうだ。

 阿部監督は大会の全日程終了後、「まだどうなるかは決まっていないんですが……」と前置きした上で、来年に向けての思いを次のように語った。

「僕自身もこの大会で自信を得た部分もたくさんあるんですが、まだまだだなというのを感じています。もっともっとサッカーを知りたい、もっともっとサッカーを追求したいという思いが強くなりました。僕自身は年齢を言い訳にするつもりはまったくないですが、まだまだサッカーを勉強しないといけない、もっともっと学んでいかないといけないなと思っています」

 ヨーロッパでは本業を持ちながらコーチ業を続けていた人物が、ゆくゆくはトップカテゴリを率いるという例もある。「そういうところは僕自身も目指してみたいところでもあるので、指導者として、チームもそうですし、選手を導いていける人間になれればと思っています」(阿部監督)。激動の監督1年目を過ごした26歳は、すでに新たな野望を燃やしている。

(取材・文 竹内達也)

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