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パイオニアとして世界へ!佐藤恵允「夢や希望を与えたい」J経由せず明治大からドイツ1部に今夏卒業前入団

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会見を行った佐藤恵允(左)と栗田大輔監督

 ドイツ・ブンデスリーガのブレーメンに入団することが決まった明治大のMF佐藤恵允(4年=実践学園高)が20日、同大駿河台キャンパスで記者会見を行った。

 日本の大学リーグからJ1リーグを経由せずに欧州主要1部リーグへ。史上初となる挑戦に、佐藤も「ヨーロッパで活躍して、ワールドカップに出ることが目標。その自分の夢に何が一番近いかと考えた時にドイツで活躍することだと思った。最初はU-23チームからになるけど、今年からトップで試合に出て、中心選手として活躍していきたいと強く思っています」と目を輝かせた。

「今年2月にドイツに練習参加に行った際に、強度の高さを感じた。日本人の持つテクニックや繊細さはあまり感じなかったけど、それ以上のインテンシティの高さを感じた。そういう意味ではすごくマッチするなと思いました。まずは自分の強みが何かということをチームメイトに認めてもらうこと、信頼してもらうことが大事だと思っている。自分と向き合って考えながら、最終的な目標を達成するためにやっていきたいです」

 自己評価は「高い壁があるほど頑張れる選手」だという。高校時代までは自他ともに認める「無名」。全国大会とも無縁だったが、高校3年生の時に明治大と行った練習試合でのプレーが栗田大輔監督の目に留まり、紫紺のユニフォームに袖を通すことになった。

 ただ同学年はMF田中克幸(帝京長岡高)やDF村上陽介(大宮U18)ら高校選手権や世代別代表で活躍してきた選手ばかりで、最初はBチームからのスタートだった。しかし授業の兼ね合いもあってAチームの練習に参加する機会を得ると、そこでDF佐藤瑶大(G大阪)やDF常本佳吾(鹿島→セルベット)らとマッチアップ。「そこで臆することなく、チャンスを掴みたい一心でバチバチの練習をした」。

 するとコロナ禍もあって半年遅れでスタートしたシーズン。8月に行われた国士舘大とのリーグ戦に途中出場してリーグ戦デビューを飾ると、すぐに頭角を現してきた。「そこから何度か試合に絡むことができた。そして2年生の時の関東選抜でチャンスを掴んでアンダー世代の代表にも選んでもらった。自分にはチャンスを掴む力は少なからずあると思っている。そしてこれからもそれが一番大事な力になってくると思っています」。

 大学1年のころには栗田監督に将来的に海外でプレーしたい希望を話していたという佐藤だが、具体的に話が進みだしたのは、昨年の秋口だったようだ。すでにパリ五輪代表候補として結果を残していた佐藤には、当然、J1の強豪クラブのほとんどが獲得に関心を示していたが、「目標とする場所に最短で辿り続く」こと模索する中で、Jリーグを経由せずに海外リーグに挑戦することを決めた。

「(ブレーメンとは)まずどういうサッカーをするのか、恵允をどういうポジションで使うのか、向こうに行った立ち位置を確認しました。練習参加もそうですが、代表の試合も分析してくれていたので、そこのズレはなかった。最初はU-23チームなら送らないと言った。でも(すぐに上げることが可能な)4、5名に入っていて、良ければすぐに上げると。国内を経由してというビジョンもあったかもしれないけど、目の前にブンデスで出られるチャンスがあるのであれば、避ける理由がない。彼もぜひ挑戦したいということで背中を押しました」(栗田監督)

 佐藤自身、海外でのプレーはサッカーを始めた時から常に意識してきた。「小さい時から毎日のようにプレミアリーグをみていた。自分がマンチェスター・ユナイテッド、お兄ちゃんがチェルシー、お父さんがアーセナルが好きで、喧嘩みたいになることがあった。そういうところから海外に対する思いは強くなったと思います」。

 またコロンビア出身の父親とのコミュニケーションは基本的には英語。「お父さんが英語で話してきて、面倒くさいので日本語で返すと、英語で返せよと言われた。お父さんは日本語も話せるんですけど、自分に英語を習得させるために喋ってくれたと思うし、今それが実っているのでありがたいですね」。多くの日本人選手が苦しむと言われる言葉の壁がクリアになっていることは、大きなアドバンテージとなりそうだ。

「U-22の遠征で海外でプレーしている選手と一緒になることがあって、日本とどう違うのか、海外とどう違うのかという話をした。彼らが言うには、海外は慣れが大事だと。移籍した瞬間に自分のプレーを出せればいいけど、環境も変わるし、言語も変わって慣れないので、最初は最大限に力を出せないと聞いてる。だから今は英語だけじゃなく、ドイツ語も勉強している。ドイツに行って環境は変わりますけど、力をどう引き出すかを考えていきたいです」

 このあとは7月末(7月の残り2試合のリーグ戦は出場予定)を持って明治大学サッカー部を退部。卒業を目指す大学には3月まで籍を置くが、8月中旬には渡独して、新生活を始めることになる。副キャプテンを務めることもあり、途中退部には多くの葛藤があったことも明かす。チームメイトに決断を報告した際は、お互いに涙を流して、健闘を誓い合ったという。「自分が活躍すれば大学サッカーの価値もすごく上がると思う。海外で活躍して、成功例を作って、いろんな人に夢や希望を与えたい」。紫紺の10番がパイオニアとして世界に羽ばたく。

(取材・文 児玉幸洋)
●第97回関東大学L特集

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