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[デンチャレ]「深川もユースも友佑のチームだった」FC東京アカデミー同級生が一目置いたストライカー、新潟医療福祉大FW青木友佑「怪我は大きな分岐点だったけど…」

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北信越選抜のFW青木友佑(新潟医療福祉大3年=FC東京U-18)

 関東選抜BのMF常盤亨太(明治大3年=FC東京U-18)は、心を躍らせたという。「自分の中で一番のFWは友佑。今日出てきたときも、こいつだけには気をつけろと仲間に声をかけていました」。北信越選抜は後半22分に最初の交代カードとしてFW青木友佑(新潟医療福祉大3年=FC東京U-18)を投入。ピッチでの再会が実現した。

 試合は前半29分に常盤が鮮やかなゴールを突き刺して関東選抜Bが先制。青木が投入された後半も常盤は43分にゴールネットを揺らして、試合を勝利に導いていた。「先に亨太が点を取っていて、自分も取りたい、絶対に勝ちたいという思いで入ったんですけど、なかなかそんなに甘くはなくて、難しかった。めっちゃ悔しいです」。プレーオフ敗退が決まったこともあり、二重の悔しさを味わうことになった。

 順調にいけば、FC東京でトップ昇格は間違いないとみられていた選手だった。FC東京U-15深川に在籍した中学生時代から世代別代表に選ばれ、中学時代最後の大会となった高円宮杯全日本ユース(U-15)では、全5試合連続ゴールを決めて、得点王に輝いた。「深川の時もユースの時も友佑のチームだった」(常盤)。チームメイトからも一目置かれる存在だった。

 しかし高校2年生のなったばかりのころ、歯車が狂いだす。練習中に左足で踏ん張った際に膝を捻じってしまう。その場ではプレーを続行することができたというが、違和感が取れなかったことで病院に行くと、半月板損傷と診断された。「縫合手術でした。初めての大怪我で、そのあと1年くらいサッカーをすることが出来ませんでした」。高校3年生の途中から復帰したが、すぐにトップパフォーマンスを取り戻すことは難しかった。

 ただトップ昇格が叶わなくなったと分かっても、大学で力をつけてまたプロを目指そうとすぐに切り替えたという。関東の強豪大への進学も考えたが、授業料免除など好条件で話を貰った新潟医療福祉大への進学を選択。「ここでプロになってやるという強い気持ちでしたし、結果を残してもう一回FC東京に戻りたい、プロのチームに行きたいと思ってやってきました」。

 大学ではFW小森飛絢(千葉)やFW田中翔太(鳥取)らとのハイレベルなレギュラー争いで、なかなか出場のチャンスを掴めずにいたが、その中でも個人の成長を感じることは出来ている。「高校のころに比べて技術もついてきたと思う。高校の時は収めるところだったり、裏抜けをやってきたけど、大学では自分が落ちて受けることを求められている。選手として少しずつですが成長できていると思います」。

 中学時代にチームメイトだったMF安斎颯馬(早稲田大→FC東京)やDF稲村隼翔(東洋大/新潟内定)らが大学経由でJリーグ入りを内定させた。高校でチームメイトだったGK野澤大志ブランドン(FC東京)は、昨年末に日本代表にも選出された。耳に届くニュースに刺激を受けないわけがない。

「怪我は非常に大きな分岐点だったけど、たくさんの人が応援してくれたり、ライバルだった同期がこうやって活躍していると、自分の刺激にもなる。もっともっと自分の名前を知ってもらえる選手になりたいです」

 自分も必ず同じステージに立つ。「その過程で今年は北信越リーグで得点王を獲りたいと思っています」。青木自身も改めて目標を明確にしている。

(取材・文 児玉幸洋)

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