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玉田圭司スペシャルコーチ加入で習志野高の同期6人目。昌平高、FC LAVIDAの育成指導者として再び“チームメート”に

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習志野高の同期6人が昌平高と系列のFC LAVIDAスタッフに。左からFC LAVIDAの菅野拓真コーチ(元千葉)、FC LAVIDAの村松明人監督(昌平コーチ)、昌平の藤島崇之監督、玉田圭司スペシャルコーチ、FC LAVIDAの関隆倫コーチ(元札幌)、宮島慶太郎ヘッドオブスカウト(前千葉スカウト)

 ワールドカップやアジアカップで活躍した元日本代表FW玉田圭司氏が、強豪・昌平高(埼玉)のスペシャルコーチに就任。これで昌平の藤島崇之監督、FC LAVIDAの村松明人監督(昌平コーチ)、関隆倫コーチ(元札幌)、菅野拓真コーチ(元千葉)、宮島慶太郎ヘッドオブスカウト(前千葉スカウト)、に続き、習志野高(千葉)の同期6人が昌平、系列の育成組織であるFC LAVIDAのスタッフに名を連ねることになった。

 彼らは、習志野3年時の98年インターハイで3位。玉田氏が4試合連続で2ゴールを決めるなど躍動し、準決勝まで勝ち上がった。同年の高校選手権千葉県予選決勝ではインターハイ優勝の宿敵・市立船橋高を破って全国大会に出場。その全国初戦でこの6人は揃って先発し、玉田氏が先制点を挙げた。だが、シュート数で17-10と上回りながら、鹿児島工高(鹿児島)に1-3で逆転負け。彼らはこの試合を最後に高校サッカーから卒業している。

 今回、玉田スペシャルコーチ就任について、藤島監督は習志野時代の恩師である本田裕一郎氏(現国士舘高テクニカルアドバイザー、前流通経済大柏高監督)に報告。それぞれ、高校時代は「(みんな)指導者をやるとは思えなかった」という6人だったようだが、立場を変えて再び“チームメート”となった。

 昌平は、「チームの中で個性を出すことが出来る選手を育成」を掲げるFC LAVIDAとの中高一貫6年指導で台頭。現在、7年連続でJリーガーを輩出中だ。また、全国高校選手権8強、インターハイ3位など近年は毎年のように全国大会上位へ勝ち上がり、今年は“高校年代最高峰のリーグ戦”プレミアリーグEASTに初参戦している。

 FC LAVIDAも街クラブながら一昨年の全日本ユース(U-15)選手権で準優勝。また、昌平、FC LAVIDAからは続々と年代別日本代表や高校選抜入りする選手が出てきている。習志野の同期たちが指導者として、他の強豪校、Jクラブユースにも負けない組織を一から作り上げてきた。

 13日の昌平のトレーニングでは6人が揃ってグラウンドへ。高校時代、登下校で一緒だったという玉田氏と村松コーチを中心に、笑いを交えながら会話したり、情報交換をしたりしていた。

 玉田氏は、個性的な選手の多い昌平について「(当時の)習志野と通ずるものがちょっとあるんじゃないですか」とコメント。そして、高校時代について、「習志野高校じゃなくて他の高校だったらと考えると……習志野高校の3年間で学んだものが凄くあったし、ああいう高校でサッカーできたことが凄く良かったと思っているんで、(昌平でも)思ってもらえるように」。当時の習志野は本田監督の下、「規律ある自由」。自由度が高い一方、その中で選手たちは自制心を自然と身に着けていった。

 そして、テクニックを重視し、ミニゲーム、リフティングなどでレベルアップ。股抜きなど遊びの要素が多く、試合では「3点取られても4点取れ」と攻撃的なサッカーを表現していた。楽しみながら成長した3年間。玉田氏はその同期たちと一緒に指導することについて、「そういう感覚を持った人たちが集まったので、それはそれで凄く良かったなと凄く思うし、そういう中で意見交換だったりできれば、僕らにとってもプラスアルファになると思うんですよね」と語る。

 藤島監督は、高校時代の玉田氏について「別格だったですからね。モノが違いましたからね。(格が違ったので)『玉田には負けたくない』という感性ではなかった。玉田と練習することによって、自分が食らいつかないといけないとか、練習でマッチアップする中で僕らは良い意味で刺激になったというか勉強になったというのはあります」と振り返る。

「(当時、サッカーを辞めたら)何やるんだろうと思っていました」という玉田氏と再びともにサッカーに携わる縁に恵まれた。OBではない6人が同じ組織で育成に携わるのは異例だが、仲が良く、似た感性を持つ6人が、チームとして育成と結果に挑戦する。習志野を卒業してから25年目。一緒に育成年代のサッカーを盛り上げ、新たな才能を次のステージへと送り出す。

(取材・文 吉田太郎)
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