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甲府MF林田滉也「奇跡が続いたキャリアかなと」“JFL不合格”からたどり着いたACLで現在フルタイム出場

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MF林田滉也

 昨季の天皇杯初制覇によりJ2リーグからAFCチャンピオンズリーグ(ACL)に参戦しているヴァンフォーレ甲府だが、ここまでは厳しい前評判を覆し、2勝1分1敗の好成績でグループ首位に立っている。それもJ2リーグで昇格争いを繰り広げていることから、ACLの先発メンバーはターンオーバー編成。リーグ戦では出場機会の少ない選手がアジアの舞台で躍動している。

 そうした選手の一人が、大卒2年目のMF林田滉也だ。J2リーグ戦では夏の補強の影響を受け、9月以降は一度も先発機会は得られていないが、ACLでは4試合連続フルタイム出場中。中盤のスペースを駆け回る豊富な運動量と、アジア基準でも後れを取らない対人のデュエルを随所に発揮し、ボランチの一角で存在感を見せ続けている。

 7日のグループリーグ第4節・浙江FC戦では、後半10分に象徴的なチャンスを演出していた。相手の組み立てを敵陣中央で奪い切り、素早くボールを縦に出すと、FWピーター・ウタカの決定機をお膳立て。ウタカのシュートは惜しくも枠を外れたが、ワンプレーに林田の良さが表れたシーンだった。

「毎試合自分の良さを出すことを意識していて、毎試合1〜2回はああいうシーンからショートカウンターを打てたり、ゴールにつながるようなシーンも出ている。自分の良さが出せているACLなんじゃないかと思う」

 そう手応えを語る林田は、ACLを主戦場としている現状について「リーグに絡めていないのはもちろん悔しいけど、ACLという舞台はそんなに経験できるものではないので運がいい。すごく貴重だと思っている」と前向きに語る。

 J2リーグ戦で出場機会が減っていた中、覚悟を持って臨んでいるアジアの舞台。「ACLでパフォーマンスが良くなかったらリーグもACLもチャンスがなくなっていくし、本当に瀬戸際。ここでやらなかったら今季は終わりだなという気持ちで第1戦のメルボルン戦から臨んでいた」といい、ACLメンバーとしてのプライドと手応えを胸に戦っているようだ。

「誰が出ても今日みたいな試合ができるのが自分たちの良さだし、ここでチャンスを与えられている選手たちは良いトレーニングを日々積めていて、日々の積み重ねがこういう結果につながっていると思う。ACLのメンバーで練習するのは1日、2日だけだけど、自分たちがやりたいサッカーは定まっている。しっかり守って堅守速攻、シンプルに縦に入れて攻めるという明確になっている部分があるから、それがチームであまり喋らなくてもできている要因だと思う」(林田)

▼「運が良かった」と振り返るサッカー人生
 そんな林田だが、ACLまで辿り着いた過程を振り返ると「運が良かった。持っているなと思う」と笑みを浮かべる。「大学からもなかなかオファーがない、プロもどこもオファーがないという状況が続いていたし、奇跡が続いたキャリアかなと思う」。他の選手にはない珍しいキャリアを過ごしてきたと自負している。

 大分県で生まれ育ち、地元の強豪クラブ「カティオーラFC」で本格的にサッカーを開始。小学校高学年で「とにかくプロになりたい」という一心から、JFAアカデミー熊本宇城のセレクションを受け、見事に合格。中学時代からは地元を離れての生活をスタートさせた。

 だが、JFAアカデミー熊本宇城はクラブチームではなくスクール形態のため、平日のトレーニングを行うのみで、週末は地元のカティオーラFCで試合に出場。それほど例のない待遇を受け入れてくれた当時の選手・関係者には「特別な思いをさせてもらっていた」といまも感謝を語る。

 高校進学時には当時静岡県で活動していたJFAアカデミー福島U-18に加入。同じJFA傘下のチームではあるが、宇城から高校年代で入るのは珍しいケースだった。それでも「自分がプロになるということしか考えていなかった」という林田にとっては願ってもない環境。「プロになるための生活が用意されていて、生活もそうだし、コミュニケーションスキルの勉強、サッカーだけでなく食事や人間性も学ばせてもらった」と感謝する。

 それでも林田によると、高校卒業時までにJクラブからのオファーはなく、関東大学リーグ1〜2部に在籍する強豪大学のセレクションにもことごとく不合格。大学経由でのプロ入りを模索するも、厳しい道からのスタートだった。

 だが、林田自身は「それも運が良かった」と前向きに語る。当初はオファーを断っていた当時神奈川県リーグの関東学院大に「やっぱりお願いします」と志願すると、幸運にも入学する直前のプレーオフで関東2部に復帰。望んでいた舞台で初年度から戦えることになった。

 その結果、林田は1年次から関東2部で出場機会を掴み、4年間でリーグ戦88試合中84試合に出場。強豪大では難しかったであろう驚異の稼働率で、最多出場のタイトルを獲得するまでに至った。また関東学院大は横浜F・マリノスと提携関係を結んでいるため、早い段階からプロの練習参加も経験。充実した日々を過ごしていた。

 大学卒業を控えた夏の時点でプロからのオファーはなく、JFLクラブの練習参加ですらも合格は得られなかった。しかし、そこで救いになったのも大学時代の出場実績だった。4年の秋、甲府の森淳スカウトからの誘いで練習参加の機会を勝ち取ると、12月に加入が内定。「1年生からずっと試合に出ていて、最多出場を取っていたのでそこを評価してもらった」ことでキャリアが開けた。

 プロ1年目は第2節の大分戦でデビューを果たすと、第9節の大宮戦で初先発。6月までに12試合の出場機会を掴み、即戦力として順調な滑り出しを見せていた。「もちろんレベルの差はあったけど、自分の中では許容範囲の差で、全然やれるなというレベルだった」と手応えも深めつつあった。

 しかし、ここでも試練は立ちはだかった。6月下旬のトレーニング中に右膝前十字靭帯断裂の重傷。タフネスが売りだった林田にとって初めての長期離脱だった。「徐々にプレーが良くなっている中での怪我だったので本当に落ち込んだ」という中で、クラブ史上初のタイトルを掴んだ天皇杯もスタンド観戦。「スタメンを奪いかけていたのもあったので、あのまま行っていたらこの舞台に立てていたのかなと羨ましかったし、悔しかった。素直に喜べない自分がいた」と率直な思いを明かす。

 リハビリは今季開幕前まで続いていたため、この怪我は現在の立場にも少なからず影響を及ぼしている。それでも今では、その経験さえも前向きに受け入れている。

「キャンプも別メニューで、開幕してからも別メニューで、9か月もかかってしまった。でも怪我をしたのは自分。オフシーズンにはJFAアカデミー福島のトレーナーのところに帰ってリハビリさせてもらったり、休まずトレーニングを続けたことで、そこでいろんな人に出会って、体のケアや栄養、トレーニング方法を学んだりすることができた」

 そうして辿り着いたACLという大舞台。エリートコースではなくても着実にキャリアを切り拓き、数々のハードルを乗り越えてきた24歳がJ2からアジアに挑むクラブの躍進を支えている。

 もっとも、林田はここで立ち止まるつもりはない。甲府は12日、山形とのJ2最終節を控えており、昇格争いのライバルに勝てばJ1昇格プレーオフ進出が決まるという状況。悲願のJ1復帰へのチャンスが目の前にある中、ピッチ上での貢献にも意欲を見せる。

 ACLの舞台で手応えを深めつつある林田にとって、J1はもはや仰ぎ見るだけのステージではない。「チームとしてはまず山形に勝って6位以内に入るのが絶対条件。甲府でJ1に上がってコンスタントに試合に使ってもらえればまたいい経験ができるし、ステップアップは常に思い描いている」。目指すはグループリーグ突破を目指すACLと、J1昇格を争う戦いのダブル出場。「監督からもパフォーマンスは問題ないと言ってもらっているので、あとはこれを継続するだけ」。ACLでのサイクルをリーグ戦にもぶつけていく構えだ。

(取材・文 竹内達也)
竹内達也
Text by 竹内達也

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