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G大阪ユースMF遠藤楓仁が日本一決めるPK弾! 父の代名詞“コロコロPK”は封印「決勝なのでちゃんと蹴りました(笑)」

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PKを決めてGK荒木琉偉(1年)と抱き合うMF遠藤楓仁(3年)

[8.2 日本クラブユース選手権決勝 FC東京U-18 3-3(PK4-5) G大阪ユース 味フィ西]

 規定の5人目で決着がつかず、サドンデスにもつれ込んだPK戦、ガンバ大阪ユースの日本一を決めるキッカーを務めたのは偉大な父を持つMF遠藤楓仁(3年)だった。今大会序盤はボランチの主力を務めたものの、長期遠征と酷暑で体調不良に陥り、準決勝までの4試合を無念の欠場。消耗激しい全国大会を戦うチームの力になれなかったぶんまで、最後の最後に力強いシュートを蹴り込んだ。

 いまも夏場の1試合を走り切るゲーム体力は戻っておらず、この日は延長前半開始からの途中出場。足がつってプレーが続けられなくなったU-17日本代表MF宮川大輝(3年)に代わってピッチに立った。

「体調不良で迷惑をかけてしまったので、プレーで示さないとダメだなと思っていた」。後半終了間際に勝ち越しに成功しながら、直後に追いつかれたという流れもあり、頭にあったのは試合を落ち着かせる役割。「その時位はリズムが作れてなかったなと思っていたので、それを自分ができるようにイメージして入った」。まずは丁寧なプレーで試合に入り、徐々にスイッチを入れていった。

 すると延長後半には巧みな足技も活かしつつ、チーム最多となる3本のシュートを立て続けに放った。「押されていたので、シュートを打って相手に脅威を与えていれば背後も空くと思うので、それを意識してやっていた」。相手の守備ブロックも固かったが、失点の恐怖を与えるプレーを選択。これによって相手の攻撃をカウンターのみにとどめる効果もあった。

 そして3-3の同点で決着がつかず、迎えたPK戦。遠藤は日本屈指のPK名手として知られたMF遠藤保仁(磐田)の長男ということもあり、キッカー順に大きな注目が集まっていたが、あえて7人目を志願していたという。

 その理由は父の代名詞としても知られる背番号だった。「僕、7番じゃないですか。なので7番でお願いしますって」。試合後には照れ笑い気味に明かした遠藤だったが、その順番はまさかの形で訪れた。先攻の相手の7番目キッカーが枠を外し、“勝てば日本一”というPKが回ってきたのだ。

 それでもさすが名手の系譜。遠藤は緊張した素振りを全く見せずにペナルティスポットに向かうと、ゆるやかな助走から強烈なシュートを放ち、ゴール左上を見事に撃ち抜いた。

「僕の父もそういうのが得意なので、ちゃんと動画を見てチェックしていました。父は一番高い壁だなと思うし、真似ではないけど見させてもらってました」。

 蹴る瞬間にゴールから目を離さないキックモーションも、それで正確にミートする技術も父親さながら。PKに関するアドバイスはもらったことがないといい、「聞いたこともあるんですけど、『感覚』って言ってたので、教えてもらうものではないのかなと思います。見て学びました(笑)」と冗談めかしたが、紛れもなくその才覚は受け継がれていたようだ。

 なお、父親の代名詞だった“コロコロPK”の選択も頭をよぎったそうだが、舞台の大きさからいったん封印していた。「正直、転がそうと思ったんですけど、転がして変に外したらチームの迷惑になるかなと思ってちゃんと蹴りました。リーグ戦だったら転がしてたんですけど、決勝なのでさすがにちゃんと蹴ろうと思いました(笑)」とユーモアを交えながら振り返った。

 自身のPKが文字どおりの決勝点となり、G大阪に16年ぶりのタイトルをもたらした。遠藤は「7がいいかなと思って直感で選んで、それが良かったですね」とキッカー順の妙にも感慨を口にしつつ、「自分は生まれた時からこのチームにお世話になってきたので、高校3年生で最後の大会で全国で優勝できたのはすごく嬉しい」と素直に喜びを語った。

 もっとも、遠藤の高校生活はここで終わりではない。降格1年目の高円宮杯プリンスリーグでは2勝2分5敗の8位と苦戦が続いており、この日本一を経て巻き返しを図る戦いが始まろうとしている。またその戦いは遠藤自身の未来を切り拓くためのチャンスでもある。「僕自身、まだプロを目指しているのでそれが第一。プリンスリーグもあまりうまくいっていなくて、怪我人もやっと揃ったので、ここからチームの成績を上げてプロになれるように頑張りたい」と残りのシーズンへの意気込みを語った。

(取材・文 竹内達也)
●【特設】第47回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会

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