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『SEVENDAYS FOOTBALLDAY』:父を超える(大津高・南太童)

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大津高を明るく支えるムードメーカー、GK南太童(中央)(写真協力=高校サッカー年鑑)

東京のユースサッカーの魅力、注目ポイントや国内外サッカーのトピックなどを紹介するコラム、「SEVENDAYS FOOTBALLDAY」

 ゴールマウスに立つことは叶わなかったけれど、この結果に対しても、このチームで積み重ねてきた時間に対しても、一片の悔いもない。毎日の練習で、毎日の生活で、かけがえのない仲間と切磋琢磨してきたことが、ひと回りもふた回りも人としての成長を促してくれた実感は、自分の中にはっきりと残っているから。

「試合のピッチの上に立つことはできませんでしたけど、大津高校に入って3年間やってきたことに悔いはないですし、負けたから誰かを責めようなんてまったく思っていなくて、ここまで勝ち上がってくれたみんなに感謝して、胸を張って熊本に帰りたいと思っています」。

 大津高(熊本)を陰から支え続けたムードメーカー。GK南太童(3年=横浜FCジュニアユース出身)の笑顔は、いつだってチームの中心を明るく貫いてきた。

 準決勝の東山高(京都)戦も、後半のアディショナルタイムに差し掛かっていた頃。その男はピッチの脇に置かれた“ベンチコート”を集めていた。タイムアップの笛が鳴ると、誰よりも早くグラウンドから引き上げてきた選手に駆け寄り、ベンチコートを渡しながらポジティブな声を掛けていく。

「PK戦になり得るだろうという時間にもなっていましたし、選手がいち早く良い準備をできるように、ベンチも同じ心構えでいないといけないなと。そういうことを1年間凄く大事にしてやってきたので、今日も怠らずにやろうと思っていました」。それが国立競技場であっても、練習試合のグラウンドであっても、南の姿勢は変わらない。

 基本的にはサブのGKが自身の立ち位置。「最初は試合に絡めなくて、ちょっとふてくされたり、『何でオレが使われないんだろう』って、そういう想いを持った時期はありました」と素直に明かすが、そんな時に思い出すのは父から送られた言葉だった。「父親から『誰が見ているかわからないからこそ、誰も見ていないようなところで努力しなさい』ということを言ってもらって、何かを意欲的にやることによって、いざ自分にチャンスが来た時に、そのチャンスをこぼさず、しっかりと掴めるように、常に準備するようになりました」。

 チームを束ねてきたキャプテンのFW小林俊瑛(3年)も「試合に出る回数は少なかったんですけど、プリンスリーグのキャプテンとして自分の手助けをしてくれましたし、プレミアリーグのベンチに入った時も一番声掛けをしてくれて、凄く明るいので、絡みやすいですし、絡んでも来るので(笑)、彼の存在は凄く助かっていました」と南への感謝を口にする。

 もちろん試合に出られない現状を受け入れているはずがない。ただ、チームで戦っているのだからと、その中で為すべき役割を果たすことには、誰よりも自覚的に振る舞ってきた。

「試合に絡めないことは選手として凄く悔しいですけど、絡めないなりに何ができるかということは大事にしていますし、キーパーという1つのポジションを争っている仲間ではあるので、星哉に対しては凄く信頼を置いています。それに試合に出る11人だけではなく、サブに回る選手にどのような声掛けができるかは、同じサブだからこそできることであって、こういう立ち位置に置かれても、メンバーに入れなかったり、ベンチに入れなかったりする選手もいるので、その選手の分まで一戦一戦大事に戦っていきたいなとは思っていました」。

 ファイナル進出を懸けた一戦は、今大会3度目のPK戦へともつれ込む。3年間一緒にトレーニングを重ねてきたGK西星哉(3年)へ、南はこの日もこれまでと同じように、熱く、短く、声を掛ける。「今日も頼むぞ。いつも通りやれば、星哉なら絶対に行けるから」。想いを背負って、背番号1が勝負のゴールマウスに向かっていく。

「ここまで自分がやってこれたのも星哉がいたからという部分もあったので、星哉が試合に出てくれていたから、胸を張ってベンチからチームを応援することができましたし、『これで終わっちゃうのか』と思うと凄く辛い想いにはなりましたけど、ここまでやってきたことにまったく悔いはないので、『やり切ったな』という想いはありました」。涙の跡の残る表情で、南はそう言葉を紡ぐ。PK戦での敗退。日本一だけを目指してきた大津の選手権は、準決勝の国立で幕を閉じることとなった。

東山高とのPK戦を見守る南太童(右から3人目)


 サッカーを始めた時はフィールドプレーヤーだったが、小学校5年生からGKとしてのキャリアをスタートさせる。きっかけは、やはり憧れていた父の存在だった。「物心ついた頃から父親の試合は見に行っていましたし、心のどこかで意識していた部分は少なからずあって、『サッカー選手として活躍するのであればお父さんのようになりたい』とは思っていたんです。家の中にいる父とピッチに立っている父はまったく違う人のように見えていて、いちサッカー選手として憧れを持っていましたし、少しずつ『この人のようになりたい』『この人を超えたい』と思うようになっていきました」。

 静岡学園高1年時に高校選手権で日本一に。プロ入り後は日本代表候補にも選出され、柏レイソル、ロアッソ熊本、横浜FCでも正守護神として活躍し、43歳になった現在も大宮アルディージャでプレーしている、南雄太がその人だ。

 南には忘れられない光景がある。「今でも覚えているんですけど、父が1試合で2回PKを止めたことがあって、その試合を生で見ていた時に、『お父さんのようになりたい』と強く思うようになったんです」。まだGKを始めて1年あまりの頃に見た父のPKストップが、とにかくカッコよかった。その時に、“息子”の運命は決まったのかもしれない。

 以前、“父親”が“息子”に対して語っていた言葉が印象深い。「僕は正直、太童にあまりGKをやってほしいとは思っていなかったんですよ。あえて自分と比較される道を選ぶ必要はないと考えていましたし、サッカーをやるならFWがいいなって自分が思うから(笑)、GKを勧めたことは1回もないんです。本人がやりたいようにやればいいなと思っていた中で、小学生の頃に本人が『GKをやりたい』と言い出して、自分を見てやりたいと思ってくれることは光栄なことだから、応援してきましたけど、プレーのことに関してはほとんど口を出したことはないんです」。

「最初は正直『モノになるのかな』という気持ちもありましたけど、最近太童のプレーを見ていて、凄く成長したなと思うし、『ちゃんとキーパーっぽくなったかな』って。それは本人が努力したからだろうし、何より大津高校に行って本当に変わりましたよ。まずは大人になりましたし、サッカーのことも凄く聞いてくるようになったんです。以前よりいろいろなことに興味が出てきているのは、本人が上手くなりたいという向上心を持っている証拠だと思いますし、大津に行って良かったんじゃないかなって」。

「でも、やっぱり自分のことをリスペクトしてくれて、息子がキーパーをやっていることは嬉しいことですよ。わざわざ自らその道に飛び込んだわけで、やっぱり何かと僕のことも言われてきたみたいですし、そういう経験も経て、人として強くなったんじゃないのかなって思います」。

 親元を離れて過ごした3年間。平岡和徳総監督や山城朋大監督をはじめとしたスタッフ陣から、学校生活も含めて濃厚な毎日を共有したチームメイトから学んだことは、間違いなくこれから生きていく上での大きな糧になる。

「大津ではサッカーだけではなく、人間性の部分で成長させてもらえました。たくさんの人と出会うことで、いろいろな意見を聞くことができましたし、人が思っていることを考えながら行動することの大切さも学ぶことができました。“人間力”と言ってもいろいろな部分がある中で、この先の将来に進んでいく上で、何を大事にするべきなのかということがわかったことは、この高校に入って大きく成長させてもらった部分だと思います」。凡事徹底。今、やるべきことを、やり抜くこと。その姿勢は、これからも絶対に変えるつもりはない。

 南には大きな目標がある。これから足を踏み入れていく大学での4年間は、それを実現させるためにも、今まで以上に自分と向き合っていく必要があるが、そんなことはもうとっくにわかっている。

「これでサッカー人生は終わりではないので、この悔しさはサッカーにぶつけるしかないですし、大学での4年間を有意義に使いたいです。やっぱり父の背中をずっと見てきたので、ああやってJリーグのピッチで活躍することを小さい頃から夢見てきましたし、それを叶えるために、大学の4年間でもう1回サッカーへ真摯に取り組んで、自分の夢でもある『父を超えること』を意識しながら、頑張っていきたいなと思います」。

 きっと、この男なら大丈夫だ。大津を陰から支え続けたムードメーカー。南太童は『父を超える』日を夢見て、これからも見えない努力を、真摯に積み重ねていくに違いない。



■執筆者紹介:
土屋雅史
「(株)ジェイ・スポーツに勤務。群馬県立高崎高3年時にはインターハイで全国ベスト8に入り、大会優秀選手に選出。著書に「メッシはマラドーナを超えられるか」(亘崇詞氏との共著・中公新書ラクレ)。」

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