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『穂高のために』はチーム全体を逞しく成長させた“魔法の言葉”。昌平DF石川穂高主将は長期離脱した5か月の経験を胸にプロを目指す新たなキャリアヘ歩み出す

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最後まで昌平高のキャプテンを務め上げたDF石川穂高(3年=FC LAVIDA出身)

[1.4 選手権準々決勝 青森山田高 4-0 昌平高 浦和駒場]

 この時が来ることは覚悟していたものの、いざその瞬間を迎えると、なかなか実感を伴ってこない。ただ、最後まで逞しく戦い抜いた仲間を誇らしく思う気持ちは、偽らざる正直な感情だ。願わくばみんなと一緒に、あのピッチでボールを追い掛けていたかったけれど。

「終わり方は残念でしたけど、この大会を通して、みんなの諦めない姿勢だったり、1試合1試合成長していくところは見ることができたので、凄く良かったなという想いは感じています。でも、やっぱり『自分もこのピッチに立っていたかったな』という正直な気持ちもありますね」。

 高校サッカーが終わった日。昌平高(埼玉)の精神的支柱として、キャプテンを任されてきたDF石川穂高(3年=FC LAVIDA出身)の心の中には、今までに味わったことのないような、いくつもの感情が交差していた。


 昨年の7月31日。真夏の練習中に、石川は左ヒザを押さえて倒れ込む。その事態の重大さは、本人も、チームメイトも、すぐに理解した。病院での診断結果は左ヒザ前十字靭帯断裂。全治8か月の重傷だった。

 1年時からレギュラーを務めてきた石川にとっては、これから高校生活の集大成に向かう時期。さらに、FC LAVIDA時代からともにプレーしてきた大半のチームメイトたちにとっても、中学生からの6年間を締めくくる選手権へと向かうタイミングでの大ケガだっただけに、本人と仲間が受けたショックは計り知れない。

 そこからは昌平の選手たちが声をそろえて、あるフレーズを口にし始める。それは『穂高のために』。みんなで目指し続けてきた日本一を勝ち獲り、国立競技場の表彰台でキャプテンに優勝カップを掲げてもらう。彼らの目標には、もう1つの果たすべき意味が加わった。

 11月。埼玉スタジアム2002には、キャプテンのあふれる笑顔があった。選手権県予選決勝。インターハイ予選では準決勝で苦杯をなめた浦和南高を2-0で下し、昌平は冬の全国への出場権を獲得。試合を決定付ける2点目のゴールを奪うと、チームメイトたちはそろってピッチサイドにいた石川の元へと駆け寄った。

「やっぱり一番は穂高の分までやろうというところで、『穂高のために』というのは円陣の時から共有してやっていたので、もうあの時はみんなで穂高の方に行きました」(土谷飛雅)「穂高自身もあまり言葉では言わないですけど、嬉しいと思いますし、みんなで試合前から『ゴールを決めたら穂高のところに行こう』と言っていたので、それができたのも嬉しかったですね」(佐怒賀大門)。

 試合後にはサッカーボールを象ったトロフィーを手渡され、石川は集合写真の中央に収まる。次は国立競技場で、穂高に優勝カップを。このころにはチームの一体感も、今まで以上に揺るがないものになっていった。

県予選優勝後の集合写真。前列中央にジャージを着た石川の姿が。




 迎えた全国大会は、苦戦の連続だった。2回戦の米子北高戦は、1点ビハインドのままで後半のアディショナルタイムに突入。それでもラストプレーで1年生の長璃喜が同点ゴールを叩き出し、もつれ込んだPK戦を制して、何とか次のラウンドへと駒を進める。

「ホッとしたという想いが一番大きかったですし、コーチたちがこっちを見てガッツポーズしてくれたので、そういう光景にかなりグッと来ましたね」。気付けば石川もこみ上げてくる涙を抑え切れなかった。先制された3回戦の大津高戦も、やはり終盤に追い付くとPK戦の末に粘り強く勝利。『穂高のために』辿り着くべき頂点までは、あと3勝。

「本当に中学の頃からずっと仲が良かったですし、そのままみんなで高校に上がって、それでも変わらず仲が良くて、そういうヤツらともうこの先では同じメンバーでサッカーすることがないということで、本当にこれで終わりだというのは正直考えられないです」。サポートメンバーとしてタイムアップの瞬間をピッチサイドで迎えた石川は、そう言い切ると小さくため息をこぼす。

 完敗だった。青森山田高と対峙した準々決勝は、前半4分で早くも2失点を献上。以降もチームはいつものようなパフォーマンスを発揮しきれず、終わってみれば0-4という大差で、日本一という夢は国立競技場を目前にして、潰えることになる。

 それまでは試合に出るのが当たり前だった日常から、みんなをサポートする側に回ったこの5か月近い時間を、石川はゆっくりと思い出しながら、振り返っていく。「この時間で、凄くメンタル的に成長できたのかなと思います。正直、辛いことを考えようと思えばいくらでも考えられました。だけど、それ以上にみんなが励ましてくれることが嬉しかったですし、幸せなことも多かったので、そこはみんなに本当に感謝したいですし、自分1人で乗り越えるにはあまりにもしんどい経験だったので、本当にみんなの存在の大きさに気付くことのできた時間だったと思います」。

 敗戦後のロッカールームでキャプテンの言葉を聞いたチームメイトも、悔しい気持ちを隠し切れない。

「穂高が全員に向けて『自分はケガをしてしまって、迷惑しか掛けてこなかった』みたいなことを言っていたんですけど、その言葉を聞いて、やっぱり今日も勝ちたかったですし、優勝したかったなという気持ちがより湧いてきてしまいましたね……」と話したのは、石川からキャプテンマークを引き継いだDF佐怒賀大門(3年)。司令塔のMF土谷飛雅(3年)も「『穂高のために』という想いでずっとやってきたので、最後にアイツの話を聞いて、もっと穂高を上のステージまで行かせてあげたかったなと、最後の最後で国立の舞台で優勝カップを掲げさせてあげたかったなと、思いました」とうつむいた。

 改めて石川への想いを問われた、佐怒賀の言葉が印象深い。「穂高はみんなが見えないような陰の部分でも僕たちを支えてくれたので、自分たちも『穂高に負けないように成長していこう』という想いがありましたし、本当にアイツのおかげで自分たちもどんどん成長できたかなと思います」。

 石川からも仲間への感謝があふれる。「みんながオレのために頑張ることで凄く力を発揮してくれたのなら、それはただただ嬉しいですし、このケガにも少し意味があったように感じられるので、そこには本当に救われましたね」。夏以降はみんなが口々に発していた『穂高のために』というフレーズは、いつしかチーム全体を逞しく成長させる“魔法の言葉”になっていたのかもしれない。

 卒業後は関東学院大で、再びサッカーと向き合う日々をスタートさせる。この5か月を経て、その決意は以前より格段に大きくなったそうだ。「『もうプロサッカー選手にならなきゃいけない』ということは、本当にケガした時からずっと思っています。今日みたいな大舞台で活躍する姿を、家族や地元の友達たちに見せてあげたかったという想いはあったんですけど、それは叶わなかったので、今度はプロサッカー選手になって、活躍している姿を見せたいなと思います」。

「ケガをして良かった」なんて、そう簡単に思えるはずがない。高校最後のピッチに立つことが叶わなかったという事実は、きっと心の片隅にずっと残っていく。それでもみんなが自分のために戦ってくれたという事実も、間違いなくこれからの人生を支えてくれる大きな宝物だ。この春から大きな夢を掴み取るために歩み出す新しいキャリアが、今度は『みんなのために』戦い続ける石川のことを、今や遅しと待ち受けている。



(取材・文 土屋雅史)
土屋雅史
Text by 土屋雅史

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