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盟友から引き継いだキャプテンマークの重責。昌平DF佐怒賀大門が最高の仲間と過ごした6年間で手にした自信と勇気

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昌平高のキャプテンマークを託されたDF佐怒賀大門(3年=FC LAVIDA出身)

[1.4 選手権準々決勝 青森山田 4-0 昌平 浦和駒場]

 タイムアップの笛が聞こえると、6年間の思い出が頭の中に蘇ってくる。最高の仲間と日本一を目指した時間は最高に楽しかったから、もうそれが叶わないなんて全然現実味がないけれど、みんなが泣いているのを見ると、ようやく実感が湧いてくる。「ああ、終わったんだな」って。

「この6年は一瞬でしたね。時間としては早かったです。つい最近『高校に行ったら全国優勝しようぜ』と言っていた感じがあるので、それがもう終わってしまって、この同じメンバーと、一緒のチームでもう優勝することができないと考えると、悲しいですし、悔いは残ります」。

 無念の負傷離脱を強いられたキャプテンから、昌平高(埼玉)の黄色い腕章を託された無骨なディフェンスリーダー。DF佐怒賀大門(3年=FC LAVIDA出身)がみんなと頂点を目指した選手権の冒険は、準々決勝で終演を迎えることになった。


「試合の入りは課題だったので、『立ち上がりから集中していこう』みたいな感じはあったんですけど、2失点してからスイッチが入った感じはありますね」(佐怒賀)。青森山田高(青森)と対峙した準々決勝。昌平は前半2分と4分に相手の得意としているセットプレーから連続失点。いきなり2点のビハインドを背負う形で、ゲームはスタートする。

「まだ時間も早かったですし、『2失点しても自分たちなら全然追い付けるぞ』という言葉も掛けました」と佐怒賀も話したように、チームはもう一度ファイティングポーズを取り直したが、19分には3失点目を献上。さらに、後半も開始早々の4分に失点を喫し、青森山田に大きく点差を付けられる。

 以降はようやく細かいコンビネーションや、ドリブルでの突破など、いつもの昌平らしさの一端は披露したものの、ゴールを奪うまでには至らず。ファイナルスコアは0-4。思わぬ大差での敗戦で、昌平にとって初の選手権4強はその手から零れ落ちた。


「正直に言って『情けないな』という気持ちがありました。自分のせいというか、4失点してしまっての0-4ということで、悔しい感情が最初に出てきました」。佐怒賀が自分に責任の矛先を向けるのは、盟友から2つの重責を託されていたからだ。1つはキャプテンマークで、もう1つはディフェンスリーダー。どちらもこの夏までは、中学時代からずっと一緒にプレーしてきたDF石川穂高(3年)が背負っていたが、夏に石川が膝の負傷で長期離脱を強いられてからは、その両方を佐怒賀が引き受けることになる。

「あまり自分が引っ張ってきたという自覚はなくて、ウチのチームは自主的にやってくれるので、『みんながキャプテン』みたいな気持ちが強くて。自分はみんなと一緒に前進してきた自覚はあります」。その大半が中学時代からともにプレーしてきているチームメイトの特徴は、もう十分過ぎるほどにわかっている。気負わず、自分らしく、できることに全力で取り組む姿勢で、チームを束ねてきた。
 
 それでも、この日の試合後に感情が揺さぶられたのは、やはり“キャプテン”の一言だった。「穂高が全員に向けて『自分はケガをしてしまって、迷惑しか掛けてこなかった』みたいなことを言っていたんですけど、その言葉を聞いて、やっぱり今日も勝ちたかったですし、優勝したかったなと気持ちがより湧いてきてしまいましたね……」。

 誰よりもプレーしたいはずの石川を近くで見てきたからこそ、中途半端な気持ちでサッカーと向き合うことは許されない。「穂高はマネージャーとして、みんなが見えないような陰の部分でも、裏の部分でも僕たちを支えてくれたので、自分たちも『穂高に負けないように成長していこう』という想いがありましたし、本当にアイツのおかげで自分たちもどんどん成長できたかなと思います」。“キャプテン”の存在は、やはり彼らにとって絶大だったのだ。


 今大会では、さらにスタンドに陣取るチームメイトたちの大きな力も佐怒賀は実感していたという。「2試合目も3試合目もギリギリで追い付けたのは応援のおかげだと思いますし、いろいろな方の送ってくれる声援が自分たちの活力になっていたので、そこは感謝したいと思います」。

 2回戦の米子北高(鳥取)戦も、3回戦の大津高(熊本)戦も、終盤に粘り強く追い付いて、PK戦の末に勝利を引き寄せる。「今日は本当に残念な結果になってしまいましたけど、2試合目と3試合目はああいう形で追い付いて、勝つことができて、少しでも見る人に感動は与えられたかなと感じているので、そこは誇りを持ちたいですし、今日の試合の結果だけで悲観することなく、1年間を通して付けてきた自信を持って帰りたいなと思います」。準々決勝は悔しい結末に終わったものの、この仲間と勝ち抜いた4試合の思い出は、きっと人生の1ページの中で、鮮やかな色彩を伴って輝き続けることだろう。

 4月からはチームメイトもそれぞれの道を歩み出す。佐怒賀は日本体育大に進学し、掲げ続けてきた夢を手繰り寄せるための新たなチャレンジに踏み出すが、きっとサッカーを続けていれば、また必ずピッチの上でみんなと再会できるはずだ。

「みんなとは一緒のピッチで対戦相手として戦ったことはなかったので、今度はそれも楽しみですね。自分も大学で4年間しっかり成長して、プロサッカー選手になりたいと思っています」。

『大門=だいもん』という特徴的な名前は、「大きい門のように堂々として、誰でも受け入れられるような優しい子になってほしい」という願いを込めて、祖母が付けてくれたという。昌平を力強く支えてきた、強固なゴールの門番。いつものグラウンドでみんなと過ごした6年間の自信を胸に、佐怒賀大門は次のステージでも向かってくる相手の正面に、堂々と立ちはだかっていく。

(取材・文 土屋雅史)

●第102回全国高校サッカー選手権特集
土屋雅史
Text by 土屋雅史

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