beacon

堀越が初の国立ベスト4へ…本籍地「新宿区・国立競技場」の佐藤実監督、選手主導“ボトムアップ方式”に懸けた思い

このエントリーをはてなブックマークに追加

佐藤実監督

 堀越高(東京A)は6日、全国高校サッカー選手権準決勝で近江高(滋賀)と対戦。5回目の選手権で国立競技場に到達した。佐藤実監督は「ちょっとこれは言ってやろうと思って隠してました」と秘話を語る。自身の本籍地を国立競技場にしていたことを明かした。

 4日の準々決勝で佐賀東高(佐賀)と対戦し、2-1で勝利。1989年度、91年度は3回戦で敗退し、そこから29年の時を経て、2020年度に8強入りを果たした。翌21年度は2回戦で敗れており、22年度は予選敗退。選手権ベスト4までの長い道のりを一歩ずつ歩んできた。

 佐藤監督は14年からチームを指揮する。選手主導の“ボトムアップ方式”は堀越の代名詞となった。指揮官からのトップダウンではなく、主将を中心に学年関係なく意見をまとめ上げる。

 今年度の主将はMF中村健太(3年)だ。選手たちは基本的な戦術を考えながらベンチ脇のホワイトボードを駆使し、交代選手も決める。中村自身の交代も自ら決断しなくてはいけないため、準々決勝では「後半20分くらいから足がつりそうだった」と自身の交代も頭をよぎったが、応援団の声を聴いて奮闘。責任感を強く持ち、初のベスト4入りを果たした。準決勝までは中1日。中村は帰宅までに電車内で対戦相手の映像チェックと翌日の練習内容を決めるという。

 子どもたちの育成にも大きな変化をもたらしている。中村は自身の成長を語る。「プレー面はもちろんだけど、人間面のところが大きい。聴く力、話す力、責任を持って行動することなど細かいところも、人として当たり前のことを当たり前にするところが相当成長した」。選手主導がゆえにシーズン序盤はうまく行かないことも多い。それでも時間をかけて積み上げたことで「自信が持てるようになった」(中村)。選手たちの成長と結果が相乗効果でついてくるようになった。

 2回戦・初芝橋本高(和歌山)戦ではPK戦での決着となった。PKの順番も選手主導。その試合後、佐藤監督は“ボトムアップ方式”を採用する理由を語っていた。

「僕自身が選手だったとき監督の力はすごく大きいと思っていた。だけど、野球と違ってサインを出すこともできない。ブロックサインや戦術交代などは、流れができてしまうとなかなかそこまで行ききれない。サッカーは(時間が)流れているスポーツと思っているので、采配で持ってくるとかそういうのはあまり感じなかった」

「だから、選手が最後までやりきる力を成長にして、違う世界に行ったときにサッカーだけではなくて実社会でも生きていけるように、このやり方自身で彼らが成功や失敗を経験して掴んでいけばいいかなと思った。もちろん、僕も何もしていないわけではない。彼らがやることに対して大人がみんなでサポートする。みんなのチームなんだよというイメージで僕らはやっているので。佐藤が何か作っていくとか、佐藤がこのチームに勝ちを持ってくるとかそういうことではない。本当に勝ちたいのは彼らなので、彼らの成長とか勝ちに行くところの邪魔をしないように、できるかぎり彼らがやりたいものを具現化することが僕の仕事と思っています」

 選手主導を支えた指揮官は、堀越高の創立100周年で初の選手権ベスト4を果たした。佐藤監督は「ベスト8までじゃ言っちゃいけなかった」と本籍地を国立競技場にしていたことを初めて語る。10年以上前、結婚するときにその決断をした。「高校サッカーの監督をやっている以上は一度は立ってみたい場所。この監督業を引き受けることに思い入れがあって、本籍を国立にしてみた」。用事があるときは自宅がある八王子から新宿区役所まで取りに行くという。

 ベスト4を達成した選手たちはすでに目標を修正済み。もちろん高校日本一だ。佐藤監督は「健太も日本一とか優勝とか言っているから、僕も乗っかっていかないと」と目を細める。「僕が目標設定をしなくても彼らがしている。そこに僕らが準備して乗っかって行けるようにしたい」。優しく選手たちの背中を押しながら、指揮官は自身の本籍地に足を踏み入れる。

(取材・文 石川祐介)

●第102回全国高校サッカー選手権特集
石川祐介
Text by 石川祐介

TOP