beacon

富士大でプレーする兄は昨夏の総理大臣杯優勝メンバー。努力と献身のストライカー・青森山田FW津島巧が“2023年度の津島家”にもたらした「2度目の日本一」

このエントリーをはてなブックマークに追加

努力と献身のストライカー、青森山田高FW津島巧(3年=青森市立南中出身)

[1.8 選手権決勝 青森山田高 3-1 近江高 国立]

 タイムアップのホイッスルが聞こえてくる。いざ夢にまで見た日本一になってみると、なんだか現実味がない。でも、チームメイトの喜ぶ姿を見て、これがみんなと戦う最後の試合だったんだということに、改めて気付き直す。

「最初は『ああ、終わった』とは思いましたけど、優勝した実感は湧かなかったですね、
『3年間の高校サッカー生活が終わったんだな』という感じでした」。

 地元・青森の中体連から全国屈指の強豪の門を叩いた、努力と献身のストライカー。FW津島巧(3年=青森市立南中出身)が3年間を捧げた高校サッカーの最後には、日本一の景色が待っていた。


 小学生時代は青森市内に居を構える青森FC U-12でプレー。当時もチームメイトだったDF山本虎(3年)とGK鈴木将永(3年)は青森山田中へと進学したものの、津島は市立の南中学校サッカー部に所属し、3年間を過ごす。

 きっかけは3歳年上の兄の存在だった。青森山田高では藤原優大(現・大分トリニータ)や安斎颯馬(現・早稲田大/FC東京内定)と同期。3年時も選手権のメンバーに入ることは叶わなかったが、そんな兄のある姿に強烈なインパクトを受けた。

「兄は応援する側だったんですけど、選手権の決勝で山梨学院に負けた試合のあとに、泣きながら帰ってきたんです。その時に『本当に充実した3年間を過ごしたんだろうな』と思って、『自分もそういうところで成長したいな』と決意して、山田を選びました」。

 入学した青森山田では2年時から頭角を現し、プレミアリーグの舞台も経験。今シーズンは9番を託され、大きな期待を背負ってスタートしたものの、ケガもあってなかなか思うようなパフォーマンスを発揮できず、スタメンの座も奪われてしまう。

 それでも、自分のやるべきことにベクトルを向け続けるだけの忍耐強さと精神力が、津島にはあった。「フォワードと言ったら9番なので、試合をベンチから見ていると、『自分は何をやっているんだろう?』と思う時もあるんですけど、正木さん(正木昌宣監督)もいつも言っているように、みんなの中でも常に『チーム』という言葉が飛び交っているので、自分のことを考えるのではなくて、常に『チームのために自分が何ができるか』ということを考えてきました」。

 重ねてきた努力がようやく実ったのは、リーグ戦の王座を懸けたプレミアリーグファイナルだ。サンフレッチェ広島ユースとの試合は、1点を先制される展開に。ベンチスタートだった津島は後半からピッチに送り込まれると、土壇場で同点に追い付いて迎えた後半45+4分に、逆転勝利を引き寄せる劇的な決勝点をマークする。

「プレミアでも1年間を通して、自分がフォワードとしてチームに迷惑を掛けてきたので、やっと大きい舞台で決勝ゴールを決められたというのは、凄く嬉しかったです」。3回戦敗退を強いられたインターハイ後、みんなで掲げ直した二冠という目標の“一冠目”に、9番のストライカーは自らの結果できっちり貢献してみせた。


 最後の選手権も、担ったのは試合途中からチームの攻撃を活性化させ、前線から全力で守備に奔走する役割。3回戦の広島国際学院高戦では待望の初ゴールも生まれたものの、準々決勝以降も最後の15分や20分で投入されると、まずは任されたタスクをまっとうすることに注力する姿勢を貫き通した。

 高校サッカー最後の試合は国立競技場での決勝。2点をリードした後半40分に、津島は聖地のピッチへと送り込まれる。「いつもならもうちょっと早い段階で出してもらえていたんですけど、今回は少し遅い時間からの出場ということで、もしかしたらそこで『何でだよ……』という気持ちになることもあると思うんですけど、自分は『このチームで優勝したい』という気持ちが一番強かったので、そこに不満とかは何もなくて、ただひたすらチームが勝つことだけを考えてプレーしていました」。

 3分間のアディショナルタイムが過ぎ去ると、二冠達成を告げる笛の音が聞こえてくる。「最後はもうピッチに倒れ込みました。本音としてはもうちょっと早く出たかったですけど(笑)」。チームメイトたちと抱き合いながら目にした日本一の景色は、やっぱり最高だった。


 “2023年度の津島家”にとって、実はこの日の結果は『2度目の日本一』だった。前述した兄の津島駿は岩手の富士大の一員として出場した、昨年夏の総理大臣杯で一足先に日本一を経験。それから4か月後。今度は弟の巧が選手権の晴れ舞台で、再び日本一の座に就く。

「昨日も兄からLINEで『決勝頑張れよ』とメッセージが来ましたけど、いつも試合の前の日には絶対に連絡をくれるんです。自分も兄に続いて日本一になれたことは凄く嬉しいですし、親にも良い恩返しができたんじゃないかなと思っています」。小さい頃から支え続けてくれた親へ、津島兄弟の“ダブル日本一”という最高の形での恩返しは、この日の国立競技場で見事に完結した。

 卒業後は立正大に進学し、さらなるステップアップを目指す。「まずはプロを目指してやっていきますけど、大学ではまず1年目が凄く大事になってくると思うので、今まで以上にサッカーへ真剣に取り組んでいきたいと思います」。

 中体連から全国屈指の強豪の門を叩き、日本一まで辿り着いた努力と献身のストライカー。これからもその無骨なプレーと、何よりも追及し続けるゴールで、津島は多くの人に勇気と感動をもたらしていく。

プレミアリーグファイナルで決勝ゴールを挙げた津島は、チームメイトの元へ全速力で駆け出した


(取材・文 土屋雅史)

●第102回全国高校サッカー選手権特集
土屋雅史
Text by 土屋雅史

TOP