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大畑「植中は飛び抜けていた」植中「大畑はずっと代表にいた」追いかけあって代表へ、地元・北九州で日の丸背負う

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DF大畑歩夢

 パリオリンピック世代の2人が地元での出場を目指している。U-23日本代表は25日にミクニワールドスタジアム北九州でU-23ウクライナ代表と対戦。ジュニア年代に小倉南FCでプレーしたFW植中朝日(横浜FM)とDF大畑歩夢(浦和)が決意を語った。

 小学生時代まで北九州で育った2人は、中学生からそれぞれの道へ進んだ。植中はJFAアカデミー福島U-15、U-18を経て、2020シーズンにV・ファーレン長崎でプロデビュー。23シーズンから横浜F・マリノスに完全移籍で加入した。一方、大畑は小倉南FCからサガン鳥栖U-18に渡り、そして20シーズンから鳥栖でトップチーム昇格を果たした。22シーズンからは浦和レッズに完全移籍をした。

 大畑は小学生時代、自身が植中を追いかける存在だったことを語る。

「植中選手は小学校時代から飛び抜けていた。一人だけ全然違う。自分は(植中を)天才だと思っていて、自分が追いついたという感じ。一人だけリフティングもめちゃくちゃできるし、ドリブルもだいたいはがせる。シュートも本当に天才。ずっと言っていました」

 だが、パリ五輪を目指す大岩剛監督体制にいち早く招集されたのは大畑だった。22年9月にU-21日本代表として欧州遠征に初参加。その後はU23アジアカップ予選突破に貢献し、ここまでコンスタントに日の丸を背負ってきた。

 一方、植中は昨年11月に細谷真大のA代表追加招集に伴い、U-22日本代表に追加招集という形で初選出された。そこで大畑とともに日の丸を背負う。「僕はずっとそこを目標にやっていた。先に彼がずっと代表に入っていたので、自分は一緒にいつかと思っていた」。ともに追いかける存在だった2人が、日本代表として戦うことになった。

 4月のU23アジア杯に向け、今回の活動は生き残りを懸けたものでもある。一部の海外組はクラブ事情で不参加となっている事実を噛みしめ、植中は「ヨーロッパ組が来なかったから自分が入っているだけ」と冷静。「どっちにしろ自分の立ち位置は厳しい状況。その状況を打開するために、ゴールや結果を残せないと生き残れない」。ゴールに絡む活躍で最後のアピールに出るつもりだ。

 大畑もパリ五輪の舞台を「この年代で目指す一番大きな目標」と強調。「そこに出ることは自分のなかの夢。だけど、がんばっていきたい」と力を込めた。植中は「彼のクロスから僕がゴールを決めればいい」と2人のアピールを画策。大畑も「できたらいいですね」とまんざらでもなく、地元での奮闘を誓った。

(取材・文 石川祐介)

●AFC U23アジアカップ2024(パリ五輪アジア最終予選)特集ページ
石川祐介
Text by 石川祐介

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