「若きファントム」鹿島安部、影響を与えられるプレーヤーに「もちろんなりたい」 #ファントムを探せ
#ファントムを探せ インタビューVOL.3 安部裕葵(鹿島アントラーズ)
ナイキフットボールから、新たなスパイク「PHANTOM VSN(ファントム ビジョン)」が登場した。「ファントム」とは決められた役割で動くのではなく、ゲームを掌握し、決定的な仕事までするプレーヤーのことだ。相対 した選手には、まるでファントム(ゴースト)に襲われたかのような脱帽せざるをえないプレーを見せつける。そんな得体の知れない「ファントム」なプレーヤーは日本に存在するのか。はたまた現れるのか。近い将来日本を背負うことを期待された逸材たちにインタビューし、「ファントムとは何か」に迫っていく。第3回は、安部裕葵(鹿島)の中高生時代から今後について独占インタビュー。
―着用するスパイク「ファントム ビジョン」の印象を教えてほしい。
「(ゴーストレースシステムによって外側に)紐がないのがところが良いと思います。僕、あんまり紐を強く結びたくないんですよ。これは紐を結ばなくてもフィット感がありますし、紐を中に入れられるのは凄く良いと思います」
―トラクションも違う?
「めっちゃ、ポイントの位置が良いと思います。切り返しの際に結構、親指で踏ん張るので、その時に助かりますね。切り返しはポイントが刺されば刺さるほどスピードが出ると思うので、そういうところで良いと思います」
―手にしただけで明らかに分かるほど軽い。
「スパイクは絶対に軽い方が良いです。(重い方が良いという人もいるけれど)僕は軽い方が良いですね。履き心地が違います。形が一緒でも重さが軽いだけでフィットしている気がするんです。ボールを蹴る感覚も、重いものと軽いものとでは全然違います。足の裏なども細めに作ってありますし、この人工皮の感じも良い。はじめ最初、この形状なので履くのは大変かなと思ったんですけれども、しっかり伸びてくれるので履きにくさはないです」
―「ファントム」が自分のプレーをサポートしてくれそう?
「僕はボールを触った時に一番特長が出る選手なので、このスパイクを履いてたくさんドリブルして、たくさんゴールしてということができたらいいと思います」
―同じファントムプレーヤーであるデ・ブルイネ選手とコウチーニョ選手の、ワールドカップのプレーはどのように映った?
「デ・ブルイネ選手は点の入るスペースが良く分かっているなと思います。空間認識能力と言いますか、相手がいないスペースや、どこにボールを通せば良いか、そういうところが普通の選手よりはずば抜けていると思います」
―安部選手と似ている部分が多いように感じるが?
「僕もスペースは見ますね。相手がどこにいるかというよりは、どこにスペースが空いているかというのは常に見ようとはしています。でも、デ・ブルイネ選手はレベルが違います。あの人は本当に上手いですよ」
―コウチーニョ選手については?
「彼はカットインからの右足がある。その形を持っているのでDFディフェンスする人は頭によぎると思います。それがDFの頭によぎった時点でコウチーニョ選手の勝ちだと思うんですよ。それが相手の頭にあるだけで自分のペースになると思うし、自分の間合いになると思う。あのシュートがあると思ったらディフェンスしにくいと思います」
―自分も左サイドからカットインしてシュートを。
「そうですね。もちろん、たくさん練習していますし、僕はシュート数がちょっと少ないので増やさないといけない。シュートが苦手な訳ではないですし、キック力が無い訳でもない。たった1点、良い感覚で決めるだけでイメージというのは全然変わるので、その感覚を掴めればと思います」
―ファントムプレーヤーになるにはメンタル面も
「大事になってくると思います」
―瀬戸内高の後輩たちが安部選手のドリブルしている姿が格好良かったと話していました。中高時代、安部選手にヒーローはいた?
「僕は小学校、中学校にかけて、高校サッカーに憧れていて、僕の中では(ヒーローは)宮市選手でした。プレー集を動画で見て、めちゃくちゃ速かった。アーセナルなどに所属していて、僕もこうなりたいなと思っていました」
―宮市選手から衝撃を受けた(ファントム的な)プレーはある?
「チェルシー相手に一人でぶっちぎった試合があったと思うんですけれども、あのプレーなどは“ヤバい”なと思いましたよ。僕とタイプは違いますけれども、上手さとか問題じゃない、衝撃的なプレーだったと思います」
―チームメートや対戦相手からインパクトを受けることはあった?
「僕は身近な人のプレーからも刺激を受けやすいタイプでした。チームメートや、後輩でも上手いと思う瞬間があるとすぐに真似しますし、吸収力があると思っています」
―ドリブル、パス、シュート全て特長があるが、今のプレースタイルの原点は真似にある。
「そうですね。人の真似から積み上げてきたものだと思います。もちろん、自分の感覚的なもので磨いてきたものもあります」
―中学時代までは無名。技術なのか、負けん気なのか、自分がこれを持っていたからプロになれたと感じている部分はある?
「覚悟は結構していた部分がありましたね。大学ではもうサッカーをしないと決めていて、僕の兄もサッカーをしていたんですけれども大学で辞めていたし、自分も高校卒業でプロになれなかったら、しっかり勉強して良い大学に行こうかなと思っていた。広島(瀬戸内高)に行くことも親は反対だったんですけれども、プロになるからと行って、なれたんで良かったです」
―何がそのような覚悟をさせた?
「小さい頃は親の言うことを聞いて育って、中学校のチームも学校も、親が引いてくれたレール、人生を送ってきていたんですけれども、高校からは自分で道を作ろうとしてきました。大変さもありましたけれども、やりやすさもありましたし、全部自分がやっていることなのでやる気もありました」
―中学生でそう考えたのは、何か変えなきゃと追い込まれていたのか、それともポジティブな気持ちだったのか?
「中3の時に親の背中を見てじゃないですけれども、働いている姿や大変なところを見て、『やらなきゃいけない』とは思いました。それが多分、きっかけですね。それから本気になりました。もちろん、それまでも一生懸命やっていましたけれども、中3の頭くらいにサッカーに対してスイッチが入ったと思います」
―スイッチが入ったらどうなる?
「変わりましたね。それまでは練習時間だけ一生懸命やって集中していたけれど、それ以外でも24時間常にサッカーのことを考えていましたし、『サッカー選手にならなきゃ』って強く思っていました。それがプレッシャーになって大変だった時もありましたけれども、そのプレッシャーを感じながら追い込んでやっていたと思います」
―悔しさをエネルギーにする選手もいると思うけれども、安部選手のエネルギーは自発的に生まれてきた。
「元々力がなかったからこそ、挫折などしないタイプだったと思います。高校の時は淡々と、一日一日考えながらやっていました」
―高校時代、自分の人生が変わったなと思うような瞬間はあった?
「自分の中でぐっと変わったポイントはあまりないかもしれないですけれども、強いて言うならば、このアントラーズというチームに入ると決まったタイミングで変わったような気はします」
―決まったのは高校3年のインターハイ後だったと思うが、そこで良いプレーができていた?
「いえ、全然そんなことはないです。めちゃくちゃ調子が良かったわけでもないですが、見てもらえていた。日々と同じようにプレーしていて、それを評価してくれたということは自分の中で自信になりました」
―アントラーズに決まった時は特別な心境だった。
「実感はなかったです。(スカウトの)椎本さんが僕らの高校(瀬戸内)のスタッフとご飯を食べている時に、その場で電話がかかってきて、『OKでいいな』と。元々僕はプロに行きたいと言っていたけれど、スタッフは鹿島以外だったら実力もないし、あまりプロには行かせたくない。それだったら良い大学へ行ってほしいという願いでした。でも、鹿島から声をかけてもらえたというのは僕にとっても、スタッフにとってもベストの選択肢だったと思います」
―初めて鹿島の練習に参加した時、何をしなければいけないと?
「最初にの練習参加をさせてもらって、それが終わった時にもう戦う気持ちはできました。チーム内競争で争うという闘争心は、その練習参加の時に自分の中には生まれていました」
―日本一覚悟を決めないと生き残れない場所。
「甘い気持ちではやれないので、ここで生き残るしかないという気持ちでしたね」
―鹿島での日常が今の自分を形成している。
「偉大な先輩が多い中で凄くかわいがってくれますし、盗むものがたくさんあるので、サッカーをやっていて不自由がないというか、自分が上手くなるために必要なものがこのチームにいたら全て揃っていると思う。(小笠原)満男さん、ソガ(曽ヶ端準)さんもそうですけれども、先輩たちの常に上手くなろうとしている姿を見ると、僕も自然とそういう考えになりました」
―活躍し始めているが、まだまだやらなければならないと?
「(鹿島のスタッフ、チームメートから)たくさんのものを与えてもらっているので、僕も与えなければいけないと思っていますし、それが優勝という形なのか、個人として大きな選手になることなのか。もちろん、それは両方目指していますし、成長すること、成長して結果を残していくことが恩返しだと思っているので、それは今の目標ですね」
―今はまだ若きファントムプレーヤーかもしれないけれども、鹿島のファントムプレーヤーだと言われるように。
「なりたいですね」
―ファントムプレーヤーとはどうあるべきか?
「僕みたいな選手は試合で流れを変えられると思いますし、試合の流れだったり、スタジアムの雰囲気だったり、そういうものを変えられる力をもっとつけたいと思っています」
―今、足りない部分は?
「逆の言い方をすれば、足りているものはないと思いますし、全て足りないと言えば足りないですし、何もかもがもっとレベルアップしなければいけないですし、サッカーを続けている以上は足りていると思ってはいけない」
―今回着用する「ファントム」のコンセプトの一つが精密さ。自分の中で精度へのこだわりは?
「僕はボールを持った時のタッチ数が多い。僕みたいに細かいタッチをする選手にとって繊細さは必要になってくると思います」
―安部選手はドリブル突破でも人を感動させることができる。
「サポーターやサッカーを楽しんで見てくれている人はそこを期待してくれていると思っているので、やっぱりそれは続けていきたいと思っています」
―ゴールという結果もついてきている。
「点を決めるということがどんなプレーよりもチームの助けになりますし、チームが楽になったり、助かったりするようなプレーヤーになりたいです」
―自分が「ファントム」と言われるのは?
「嬉しいことですし、こうやって取材をして頂けることもありがたいです。僕はナイキを使わせてもらっていて、もちろん感謝もありますし、責任というか……、変に気負う必要はないですけれども、僕が一生懸命やることによってチームだけじゃなくて僕の後輩や履いているスパイク、いろいろなものにいい影響が与えられる、サッカー選手というものは人に影響を与えやすいものだと思うので、それはやりがいを感じますね」
―代表チームについて、ロシアでの10日間はどうだった?
「代表戦を見たのはこれが初めてで、ワールドカップももちろん初めて。スタジアムに入ってくる大勢のサポーターが一緒に泣いて、叫んでという姿を見ました、自分が思っているよりも、サッカーは熱いスポーツだということを凄く感じました。思っていたよりもサッカーというものは人に影響を与えるスポーツで、偉大だなと思いました」
―6万、7万人が感動している外側にテレビを見ている人はもっといる。
「凄いですね。そういう影響を与えられるプレーヤーになれる可能性があるので、もちろんそうなりたいと思います」
―A代表の選手たちを近くで見て感じたことは?
「近くで接する機会はあまりなかったんですけれども、表情など世界と戦っている人たちを見たら、やっぱり自分との違いを感じました。僕が普段Jリーグで試合しているよりも、もうひとつ上のメンタリティーや人間性があって自分の未熟さ、もっとやらなければいけない、とA代表の選手たちを見て感じましたし、ロシアでの全てが僕にとって刺激でした」
―中学3年生の時に受けた刺激とは、また違う刺激に。
「凄く刺激になりましたね。ワールドカップというものを肌で感じられたのでイメージしやすいですし、そういう経験ができたのは大きかった」
―あまり先のことは考えないようだが、2年後、4年後については?
「考えないですよ。考えないですけれども、カタール(のワールドカップ)に出たいという欲は凄く出ましたね。でも先のことを考えすぎずに、という気持ちもあります」
―同年代の選手みんなが目指していると思うが、東京で行われる真剣勝負、オリンピックは意識する?
「ワールドカップと同じくらい大きなものだと思っていますし、誰もが目指す舞台だと思います。僕はサッカーをやっていて、チームメートからも、サッカーやっていない人からも『オリンピック目指せよ』『オリンピック出ろよ』という声が凄くある。それだけ周りの人も意識しているものですし、僕も出たいと思います」
―プロサッカー選手を目指す中高生へのメッセージもお願いします。安部選手は自分よりも上手いという選手が大勢いる中、負けずに、諦めないでここまでやってきた。
「僕の哲学では人と比べても、挫折だったり、慢心だったり、メンタル状況のブレが出てくるだけだと思っているので、僕は人との比較は常にして来なかったです。『僕よりも上手い人がいる、だから何?』って感じで。もちろん、負けず嫌いという気持ちは大事だと思います。でも、僕は常に練習の中でも一番を目指していて、毎日の練習で一番走って、一番目立って、一番良いプレーをする。そして、練習試合でも、公式戦でも一番目立ちたいと思ってきました。その目立ち方は一生懸命走ることもそう。毎試合MVPを取りたいという思いで練習をしていたので、それ(全てにおいて一番を目指してきたこと)でゲームをコントロールする感覚も磨かれたと思います」
―今、安部選手のように、というプレーヤーが増え始めている。
「それは本当に嬉しいです。とにかく、常にサッカーをしていた方が良いです。どんな時間もサッカーのことを思って、それが一番大事だと思います。そういう人がサッカー選手になれると思いますし、サッカー選手になって欲しいと思います。プロになれる近道はない。だから、毎日100パーセントですること。走ること、筋トレ、食事、睡眠も何でもサッカーのためにやった方が良い。僕は高校3年間が一番忙しかったと思います。勉強もして、サッカーもして、『人生の中で一番忙しい3年間にしよう』と入学する時に考えて入ったので。だから、どんなにシンドくても、そういうモチベーションで高校に入学したので、逆に楽な時に違和感があったくらいでした。何もすることがなかったりすると違和感があるという感じだった。そういうイメージで生活していたら、いい学生生活が送れると思いますね」
―サッカーでなくても充実した学生生活が送ることができそう。
「親からはずっと、『生まれてから高校を卒業するまでの18年、もしくは大学を卒業するまでの22年、それまでに何をやってきたかで人生決まるぞ』と言われていて、それは僕も頭の中で理解していて、そうだろうなと思っていました。僕はとりあえず18という区切りをつけてサッカー選手を目指してきたので、18までにできるだけ何でもしようと思ってきた。僕はまだ19で、人生まだまだどうにでもなる。でも、高校までの18年間というものは人生の中で一番重要だと思います」
現在、ナイキジャパンフットボールTwitter公式アカウントにて「ファントム」プレーヤーの目撃情報を集めている。「こいつはファントムだ!」と思う近くのプレーヤーがいれば、ぜひ推薦してほしい。ゲキサカでは今後も様々なプレーヤーにインタビューし、「ファントムとは何か」に迫っていく。
★ナイキ公式「#ファントムを探せ」の詳細はこちら
http://gonike.me/phantom_vol3
▼VOL.5 川端暁彦氏コラム「昌平高MF須藤直輝(1年)」
▼VOL.4 吉田太郎コラム「山梨学院高FW宮崎純真(3年)」
▼VOL.2 市立船橋高FW井上怜(3年)インタビュー
▼VOL.1 桐光学園高FW西川潤(2年)インタビュー
ナイキフットボールから、新たなスパイク「PHANTOM VSN(ファントム ビジョン)」が登場した。「ファントム」とは決められた役割で動くのではなく、ゲームを掌握し、決定的な仕事までするプレーヤーのことだ。相対 した選手には、まるでファントム(ゴースト)に襲われたかのような脱帽せざるをえないプレーを見せつける。そんな得体の知れない「ファントム」なプレーヤーは日本に存在するのか。はたまた現れるのか。近い将来日本を背負うことを期待された逸材たちにインタビューし、「ファントムとは何か」に迫っていく。第3回は、安部裕葵(鹿島)の中高生時代から今後について独占インタビュー。
―着用するスパイク「ファントム ビジョン」の印象を教えてほしい。
「(ゴーストレースシステムによって外側に)紐がないのがところが良いと思います。僕、あんまり紐を強く結びたくないんですよ。これは紐を結ばなくてもフィット感がありますし、紐を中に入れられるのは凄く良いと思います」
―トラクションも違う?
「めっちゃ、ポイントの位置が良いと思います。切り返しの際に結構、親指で踏ん張るので、その時に助かりますね。切り返しはポイントが刺されば刺さるほどスピードが出ると思うので、そういうところで良いと思います」
―手にしただけで明らかに分かるほど軽い。
「スパイクは絶対に軽い方が良いです。(重い方が良いという人もいるけれど)僕は軽い方が良いですね。履き心地が違います。形が一緒でも重さが軽いだけでフィットしている気がするんです。ボールを蹴る感覚も、重いものと軽いものとでは全然違います。足の裏なども細めに作ってありますし、この人工皮の感じも良い。はじめ最初、この形状なので履くのは大変かなと思ったんですけれども、しっかり伸びてくれるので履きにくさはないです」
―「ファントム」が自分のプレーをサポートしてくれそう?
「僕はボールを触った時に一番特長が出る選手なので、このスパイクを履いてたくさんドリブルして、たくさんゴールしてということができたらいいと思います」
―同じファントムプレーヤーであるデ・ブルイネ選手とコウチーニョ選手の、ワールドカップのプレーはどのように映った?
「デ・ブルイネ選手は点の入るスペースが良く分かっているなと思います。空間認識能力と言いますか、相手がいないスペースや、どこにボールを通せば良いか、そういうところが普通の選手よりはずば抜けていると思います」
―安部選手と似ている部分が多いように感じるが?
「僕もスペースは見ますね。相手がどこにいるかというよりは、どこにスペースが空いているかというのは常に見ようとはしています。でも、デ・ブルイネ選手はレベルが違います。あの人は本当に上手いですよ」
―コウチーニョ選手については?
「彼はカットインからの右足がある。その形を持っているのでDFディフェンスする人は頭によぎると思います。それがDFの頭によぎった時点でコウチーニョ選手の勝ちだと思うんですよ。それが相手の頭にあるだけで自分のペースになると思うし、自分の間合いになると思う。あのシュートがあると思ったらディフェンスしにくいと思います」
―自分も左サイドからカットインしてシュートを。
「そうですね。もちろん、たくさん練習していますし、僕はシュート数がちょっと少ないので増やさないといけない。シュートが苦手な訳ではないですし、キック力が無い訳でもない。たった1点、良い感覚で決めるだけでイメージというのは全然変わるので、その感覚を掴めればと思います」
―ファントムプレーヤーになるにはメンタル面も
「大事になってくると思います」
―瀬戸内高の後輩たちが安部選手のドリブルしている姿が格好良かったと話していました。中高時代、安部選手にヒーローはいた?
「僕は小学校、中学校にかけて、高校サッカーに憧れていて、僕の中では(ヒーローは)宮市選手でした。プレー集を動画で見て、めちゃくちゃ速かった。アーセナルなどに所属していて、僕もこうなりたいなと思っていました」
―宮市選手から衝撃を受けた(ファントム的な)プレーはある?
「チェルシー相手に一人でぶっちぎった試合があったと思うんですけれども、あのプレーなどは“ヤバい”なと思いましたよ。僕とタイプは違いますけれども、上手さとか問題じゃない、衝撃的なプレーだったと思います」
―チームメートや対戦相手からインパクトを受けることはあった?
「僕は身近な人のプレーからも刺激を受けやすいタイプでした。チームメートや、後輩でも上手いと思う瞬間があるとすぐに真似しますし、吸収力があると思っています」
―ドリブル、パス、シュート全て特長があるが、今のプレースタイルの原点は真似にある。
「そうですね。人の真似から積み上げてきたものだと思います。もちろん、自分の感覚的なもので磨いてきたものもあります」
―中学時代までは無名。技術なのか、負けん気なのか、自分がこれを持っていたからプロになれたと感じている部分はある?
「覚悟は結構していた部分がありましたね。大学ではもうサッカーをしないと決めていて、僕の兄もサッカーをしていたんですけれども大学で辞めていたし、自分も高校卒業でプロになれなかったら、しっかり勉強して良い大学に行こうかなと思っていた。広島(瀬戸内高)に行くことも親は反対だったんですけれども、プロになるからと行って、なれたんで良かったです」
―何がそのような覚悟をさせた?
「小さい頃は親の言うことを聞いて育って、中学校のチームも学校も、親が引いてくれたレール、人生を送ってきていたんですけれども、高校からは自分で道を作ろうとしてきました。大変さもありましたけれども、やりやすさもありましたし、全部自分がやっていることなのでやる気もありました」
―中学生でそう考えたのは、何か変えなきゃと追い込まれていたのか、それともポジティブな気持ちだったのか?
「中3の時に親の背中を見てじゃないですけれども、働いている姿や大変なところを見て、『やらなきゃいけない』とは思いました。それが多分、きっかけですね。それから本気になりました。もちろん、それまでも一生懸命やっていましたけれども、中3の頭くらいにサッカーに対してスイッチが入ったと思います」
―スイッチが入ったらどうなる?
「変わりましたね。それまでは練習時間だけ一生懸命やって集中していたけれど、それ以外でも24時間常にサッカーのことを考えていましたし、『サッカー選手にならなきゃ』って強く思っていました。それがプレッシャーになって大変だった時もありましたけれども、そのプレッシャーを感じながら追い込んでやっていたと思います」
―悔しさをエネルギーにする選手もいると思うけれども、安部選手のエネルギーは自発的に生まれてきた。
「元々力がなかったからこそ、挫折などしないタイプだったと思います。高校の時は淡々と、一日一日考えながらやっていました」
―高校時代、自分の人生が変わったなと思うような瞬間はあった?
「自分の中でぐっと変わったポイントはあまりないかもしれないですけれども、強いて言うならば、このアントラーズというチームに入ると決まったタイミングで変わったような気はします」
―決まったのは高校3年のインターハイ後だったと思うが、そこで良いプレーができていた?
「いえ、全然そんなことはないです。めちゃくちゃ調子が良かったわけでもないですが、見てもらえていた。日々と同じようにプレーしていて、それを評価してくれたということは自分の中で自信になりました」
―アントラーズに決まった時は特別な心境だった。
「実感はなかったです。(スカウトの)椎本さんが僕らの高校(瀬戸内)のスタッフとご飯を食べている時に、その場で電話がかかってきて、『OKでいいな』と。元々僕はプロに行きたいと言っていたけれど、スタッフは鹿島以外だったら実力もないし、あまりプロには行かせたくない。それだったら良い大学へ行ってほしいという願いでした。でも、鹿島から声をかけてもらえたというのは僕にとっても、スタッフにとってもベストの選択肢だったと思います」
―初めて鹿島の練習に参加した時、何をしなければいけないと?
「最初にの練習参加をさせてもらって、それが終わった時にもう戦う気持ちはできました。チーム内競争で争うという闘争心は、その練習参加の時に自分の中には生まれていました」
―日本一覚悟を決めないと生き残れない場所。
「甘い気持ちではやれないので、ここで生き残るしかないという気持ちでしたね」
―鹿島での日常が今の自分を形成している。
「偉大な先輩が多い中で凄くかわいがってくれますし、盗むものがたくさんあるので、サッカーをやっていて不自由がないというか、自分が上手くなるために必要なものがこのチームにいたら全て揃っていると思う。(小笠原)満男さん、ソガ(曽ヶ端準)さんもそうですけれども、先輩たちの常に上手くなろうとしている姿を見ると、僕も自然とそういう考えになりました」
―活躍し始めているが、まだまだやらなければならないと?
「(鹿島のスタッフ、チームメートから)たくさんのものを与えてもらっているので、僕も与えなければいけないと思っていますし、それが優勝という形なのか、個人として大きな選手になることなのか。もちろん、それは両方目指していますし、成長すること、成長して結果を残していくことが恩返しだと思っているので、それは今の目標ですね」
―今はまだ若きファントムプレーヤーかもしれないけれども、鹿島のファントムプレーヤーだと言われるように。
「なりたいですね」
―ファントムプレーヤーとはどうあるべきか?
「僕みたいな選手は試合で流れを変えられると思いますし、試合の流れだったり、スタジアムの雰囲気だったり、そういうものを変えられる力をもっとつけたいと思っています」
―今、足りない部分は?
「逆の言い方をすれば、足りているものはないと思いますし、全て足りないと言えば足りないですし、何もかもがもっとレベルアップしなければいけないですし、サッカーを続けている以上は足りていると思ってはいけない」
―今回着用する「ファントム」のコンセプトの一つが精密さ。自分の中で精度へのこだわりは?
「僕はボールを持った時のタッチ数が多い。僕みたいに細かいタッチをする選手にとって繊細さは必要になってくると思います」
―安部選手はドリブル突破でも人を感動させることができる。
「サポーターやサッカーを楽しんで見てくれている人はそこを期待してくれていると思っているので、やっぱりそれは続けていきたいと思っています」
―ゴールという結果もついてきている。
「点を決めるということがどんなプレーよりもチームの助けになりますし、チームが楽になったり、助かったりするようなプレーヤーになりたいです」
―自分が「ファントム」と言われるのは?
「嬉しいことですし、こうやって取材をして頂けることもありがたいです。僕はナイキを使わせてもらっていて、もちろん感謝もありますし、責任というか……、変に気負う必要はないですけれども、僕が一生懸命やることによってチームだけじゃなくて僕の後輩や履いているスパイク、いろいろなものにいい影響が与えられる、サッカー選手というものは人に影響を与えやすいものだと思うので、それはやりがいを感じますね」
―代表チームについて、ロシアでの10日間はどうだった?
「代表戦を見たのはこれが初めてで、ワールドカップももちろん初めて。スタジアムに入ってくる大勢のサポーターが一緒に泣いて、叫んでという姿を見ました、自分が思っているよりも、サッカーは熱いスポーツだということを凄く感じました。思っていたよりもサッカーというものは人に影響を与えるスポーツで、偉大だなと思いました」
―6万、7万人が感動している外側にテレビを見ている人はもっといる。
「凄いですね。そういう影響を与えられるプレーヤーになれる可能性があるので、もちろんそうなりたいと思います」
―A代表の選手たちを近くで見て感じたことは?
「近くで接する機会はあまりなかったんですけれども、表情など世界と戦っている人たちを見たら、やっぱり自分との違いを感じました。僕が普段Jリーグで試合しているよりも、もうひとつ上のメンタリティーや人間性があって自分の未熟さ、もっとやらなければいけない、とA代表の選手たちを見て感じましたし、ロシアでの全てが僕にとって刺激でした」
―中学3年生の時に受けた刺激とは、また違う刺激に。
「凄く刺激になりましたね。ワールドカップというものを肌で感じられたのでイメージしやすいですし、そういう経験ができたのは大きかった」
―あまり先のことは考えないようだが、2年後、4年後については?
「考えないですよ。考えないですけれども、カタール(のワールドカップ)に出たいという欲は凄く出ましたね。でも先のことを考えすぎずに、という気持ちもあります」
―同年代の選手みんなが目指していると思うが、東京で行われる真剣勝負、オリンピックは意識する?
「ワールドカップと同じくらい大きなものだと思っていますし、誰もが目指す舞台だと思います。僕はサッカーをやっていて、チームメートからも、サッカーやっていない人からも『オリンピック目指せよ』『オリンピック出ろよ』という声が凄くある。それだけ周りの人も意識しているものですし、僕も出たいと思います」
―プロサッカー選手を目指す中高生へのメッセージもお願いします。安部選手は自分よりも上手いという選手が大勢いる中、負けずに、諦めないでここまでやってきた。
「僕の哲学では人と比べても、挫折だったり、慢心だったり、メンタル状況のブレが出てくるだけだと思っているので、僕は人との比較は常にして来なかったです。『僕よりも上手い人がいる、だから何?』って感じで。もちろん、負けず嫌いという気持ちは大事だと思います。でも、僕は常に練習の中でも一番を目指していて、毎日の練習で一番走って、一番目立って、一番良いプレーをする。そして、練習試合でも、公式戦でも一番目立ちたいと思ってきました。その目立ち方は一生懸命走ることもそう。毎試合MVPを取りたいという思いで練習をしていたので、それ(全てにおいて一番を目指してきたこと)でゲームをコントロールする感覚も磨かれたと思います」
―今、安部選手のように、というプレーヤーが増え始めている。
「それは本当に嬉しいです。とにかく、常にサッカーをしていた方が良いです。どんな時間もサッカーのことを思って、それが一番大事だと思います。そういう人がサッカー選手になれると思いますし、サッカー選手になって欲しいと思います。プロになれる近道はない。だから、毎日100パーセントですること。走ること、筋トレ、食事、睡眠も何でもサッカーのためにやった方が良い。僕は高校3年間が一番忙しかったと思います。勉強もして、サッカーもして、『人生の中で一番忙しい3年間にしよう』と入学する時に考えて入ったので。だから、どんなにシンドくても、そういうモチベーションで高校に入学したので、逆に楽な時に違和感があったくらいでした。何もすることがなかったりすると違和感があるという感じだった。そういうイメージで生活していたら、いい学生生活が送れると思いますね」
―サッカーでなくても充実した学生生活が送ることができそう。
「親からはずっと、『生まれてから高校を卒業するまでの18年、もしくは大学を卒業するまでの22年、それまでに何をやってきたかで人生決まるぞ』と言われていて、それは僕も頭の中で理解していて、そうだろうなと思っていました。僕はとりあえず18という区切りをつけてサッカー選手を目指してきたので、18までにできるだけ何でもしようと思ってきた。僕はまだ19で、人生まだまだどうにでもなる。でも、高校までの18年間というものは人生の中で一番重要だと思います」
現在、ナイキジャパンフットボールTwitter公式アカウントにて「ファントム」プレーヤーの目撃情報を集めている。「こいつはファントムだ!」と思う近くのプレーヤーがいれば、ぜひ推薦してほしい。ゲキサカでは今後も様々なプレーヤーにインタビューし、「ファントムとは何か」に迫っていく。
★ナイキ公式「#ファントムを探せ」の詳細はこちら
http://gonike.me/phantom_vol3
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