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鵬学園出身初のJリーガー!藤枝ですでに14試合出場、中京大MF永田貫太が母校で会見「一つの覚悟でここまで変われた」

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鵬学園で会見を行ったMF永田貫太(鵬学園高校提供)

 来季より藤枝MYFCに入団する中京大のMF永田貫太が20日、高校時代を過ごした石川県の鵬学園高で会見を行った。今季、すでに特別指定選手としてJ2リーグ戦14試合に出場しているアタッカーは、「自分が活躍して名前が上がれば上がるほど、鵬学園の名前が広がると思う。1年目は5得点5アシストを目指したい」と意気込みを語った。

 本格強化を始めて12年の鵬学園から初めてのJリーガーが誕生した。永田は4年前の卒業生で、3年時は10番を背負う中心選手として活躍。高校選手権の石川県決勝では星稜高を破って全国大会にも出場。当初は高校でサッカーを辞めようと思っていたという永田だが、「高校選手権という夢の舞台に進めたことで、もう一回夢を追いかけようと思った」と当時を回想する。

 大学でも3年時に肩を脱臼。2か月ほど完全に離脱し、半年ほど思うようにプレーが出来なかったことで、引退を考えた。しかし就職に頭を切り替えようとしても、「どうしてもサッカーを辞めた未来がみえなかった」という。「サッカー選手になりたかったころの自分を思い出した。一つの覚悟でここまで変われたと思います」。

 今春行われたデンソーカップチャレンジで東海選抜の一員として出場すると、大会優秀選手に選ばれる大活躍。3月に日韓定期戦を戦った全日本大学選抜に選ばれると、4月にはパリオリンピック出場を目指すU-22日本代表候補にも選出。そして5月に藤枝への入団発表と、一気に階段を上った。

 着任と同時に本格強化を始め、12年目で初のJリーガー誕生となった赤地信彦監督も「今年は鈴木樟(3年)もU-17代表に選ばれた。(永田とともに)礎を作ってくれているのは嬉しい限りです」と笑みを浮かべる。そして愛知県出身の永田を含め、当時の世代が初めて県外選手の受け入れだったこともあり、「サッカー部の寮もしっかりと出来ていない中だったけど、頑張ってくれたと思います」と感慨深げだった。

 石川県への越境入学、大学での怪我からの復活と、常にあった節目での苦難を覚悟を決めることで乗り越えてきた。これからも覚悟を持つことを大切にして、プロ生活を歩んでいくつもりだ。「走力で負けない、1対1で走り負けない自信を持ってプレーしたい」。その前に大学選手権(インカレ)の出場も決まっていることもあり、「大学最後の大会。優勝を狙いたい」と力強く話していた。

(取材・文 児玉幸洋)
児玉幸洋
Text by 児玉幸洋

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