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想いを込めた12文字は「力をあわせて乗り越えよう」。市立船橋とサッカーファミリーから送られた被災地へのメッセージ

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市立船橋高は集合写真時にメッセージを掲げた。(写真協力『高校サッカー年鑑』)

[1.2 選手権3回戦 市立船橋高 4-1 星稜高 柏の葉]

 その想いは遥か北信越の空へと届いただろうか。『力を・あわ・せて・乗り・越え・よう』。試合前の集合写真で6枚の紙を掲げて、能登半島地震で被災された方へのメッセージを送った市立船橋高(千葉)の選手たちへ、同じ想いを抱くスタンドのサッカーファミリーからも大きな連帯の拍手が巻き起こった。

 1月1日に石川県能登地方を震源とする最大震度7の大地震が発生。翌日に石川県代表の星稜高と対峙することになっていた市立船橋の選手たちも、ニュースやSNSを通じてその情報を知ると、すぐに自分たちにできることはないかと話し合ったという。

「試合を全力でやることが相手にとってもプラスになると思ったので、それはもちろんなんですけど、その前に『何かできないか』とみんなで考えた中で、『試合前にこういうことをやろうよ』と話し合ってやりました」と語るのはキャプテンのMF太田隼剛(3年)。決めたのは試合前の集合写真時にメッセージを送ること。その見せ方も相談した上で、自分たちで内容も考えた。

「あまり長すぎてもと思って、『何か良い言葉はないかな』ということで、あれを選びました」と太田も明かした文言は、1枚の紙に2文字を記し、6人が持って完成させる算段だ。

 実はいつもと集合写真の配置も変更したという。「いつも前に並ぶ選手は5人なんですけど、“10文字”だとどうしても伝え切れない部分があったので、前の人数を6人に増やしてやりました」(太田)。

 MF足立陽(3年)は「力を」。FW久保原心優(2年)は「あわ」。太田は「せて」。MF佐々木裕涼(3年)は「乗り」。MF白土典汰(3年)は「越え」。MF森駿人(3年)は「よう」。2文字の6枚で完成させたのは『力をあわせて乗り越えよう』というメッセージ。その後ろでDF宮川瑛光(3年)、MF岡部タリクカナイ颯斗(2年)、DF内川遼(3年)、DF佐藤凛音(3年)、GKギマラエス・ニコラス(2年)が前を見据えて肩を組む。市立船橋サッカー部に関わるすべての人を代表して、選手たちは想いを込めた12文字を、力強く掲げてみせた。


 メッセージボードは、バックスタンドの応援席にも踊る。『石川共にがんばろう!』という文字の横には、石川県の地形を象ったものも。『被災者の皆様に一日でも早く日常が戻りますように 「市船」』という手書きのボードに加えて、『がんばれ石川』『ガンバレ和倉』というエールが書かれた横断幕も掲出されていた。

 地震の発生からキックオフまでは24時間も経っていない。聞けば市立船橋の選手たちは夜遅くまで掛かって、メッセージボードや横断幕を作成したという。さらに、市立船橋サッカー部後援会の迅速な行動で、同校の野球部が使用している緑のメガホンを確保し、星稜の応援団へと貸し出す一幕もあった。

 ゲームは4-1で市立船橋が勝利を収めたが、試合後に太田が話した言葉が印象深い。「いろいろな状況の中で、まず試合ができたことにしっかり感謝したいですし、サッカーの力の偉大さを改めて認識できたのかなと思います。いろいろな人の想いを背負った中で次のステージへ進むということは、このメンバー1人1人が持たなくてはいけないところなのかなとも感じています。僕たちもいろいろな人の支援で普段の活動ができていますし、自分たちの力だけじゃできないことも多いので、いろいろな人に感謝することを、この出来事をきっかけにまた再確認できればなと思います」。

 自らも同校サッカー部OBの波多秀吾監督は、改めて市立船橋に関わる人々が動いた今回のさまざまな行動について、こう語っている。

「昨日の夜遅くまで横断幕を作ってくれたBチームの選手がいたりとか、いろいろ尽力してくださった保護者の方たちがいたりとか、市船はそういうチームです。サッカーをやるだけではなくて、『高校サッカー界に何かを残していこう』というような使命を背負っていますし、それを実践してくれています。やっぱり“サッカー以上のこと”というのを、しっかりと人生に良い形で繋げていける、そういうことも高校サッカーの素晴らしさじゃないかなと思います」。

 市立船橋サッカー部に関わるすべての人から、そして、その想いに賛同する多くのサッカーファミリーから送られた『力をあわせて乗り越えよう』というメッセージが、今回の地震で被災された方々へ少しでも届くことを、願ってやまない。

市立船橋の応援席でもメッセージボードが掲げられた


(取材・文 土屋雅史)

●第102回全国高校サッカー選手権特集
土屋雅史
Text by 土屋雅史

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