beacon

鹿屋体育大の終戦とともに横浜FM内定から始まったDF吉田真那斗の激動の1年も終了「チームを勝たせられる選手に」

このエントリーをはてなブックマークに追加

内野とは横浜FMのキャンプでも一緒になった。「もう怪我は大丈夫なの」といった話をしたという

[12.10 インカレ2回戦 筑波大2-1鹿屋体育大 AGFフィールド]

 楽しみにしていた戦友との再会だった。「アジア大会でも一緒にプレーしましたし、ライバルだけど良き友。この対戦は非常に嬉しかった」。ともにアジア大会に出場したMF山内翔(4年=神戸U-18/神戸内定)とFW内野航太郎(1年=横浜FMユース)がいた筑波大との対戦に、DF吉田真那斗(4年=浜松開誠館高/横浜FM内定)は試合前から心を躍らせていた。

 しかし勝負は決するもの。後半開始早々にDF吉川敬進(2年=JFAアカデミー)が鮮やかなFKを直接突き刺して1点差とした鹿屋体育大だったが、同点に追いつくことは出来ず、2回戦での敗退が決まった。そしてこの試合終了の瞬間が、吉田にとっても大学サッカー終了を告げるホイッスルになっていた。

 激動の一年が終わった。「今までに経験したことのないくらい濃い1年でした。その分、大学をあけることも多かったけど、この大学に何かを残さないといけないと思ったので、本当に悔しい結果になったなと思います」。背番号10を背負ったサイドバックは、時折声を詰まらせながらも、気丈に質問に答えてくれた。

 人生が大きく変わったのは、今年1月下旬のことだった。宮崎県で横浜F・マリノスが行っていたキャンプに練習生として参加することになってからだった。当時は怪我人の補充と考えられたが、練習試合でみせた吉田のプレーが首脳陣の目に留まった。そして3月に24シーズンの入団内定を発表。特別指定選手として帯同すると、4月1日のJ1第6節C大阪戦では先発デビューも飾った。

 さらに今年はこれまで無縁だった代表活動も経験。4月に初めてU-22日本代表候補合宿メンバーに選出されると、大学生も多く選ばれたアジア大会を戦った日本代表にも選出。惜しくも準優勝に終わったが、決勝の韓国戦に先発出場するなど、貴重な経験を積んだ。

 すべては鹿児島で過ごした4年間があったから。「最初は静岡から出て生活をしたことがなかったので、本当に右も左も分からない土地だったので不安だった」と振り返るが、気づけば、第二の故郷と呼べる土地になっていた。「今は鹿屋体育大に入って、心の底からよかったなと思っています」。

 来年度から本格的にプロサッカー選手としての生活が始まることになるが、今年も春先や夏場などに長期帯同。吉田自身も「来年に向けてた準備はこれからですけど、土台は出来たんじゃないか」と話すほどの充実した期間を過ごすことが出来た。1年目から勝負するイメージは十分に持っている。「新人という立ち位置ですけど、1年目からチームを勝たせられる選手になっていきたい。サイドバックですけど、違いを出せる選手になっていきたいです」。王座奪還を目指すチームの重要なピースになる。

(取材・文 児玉幸洋)
●第72回全日本大学選手権(インカレ)特集
児玉幸洋
Text by 児玉幸洋

TOP