燃え尽きかけた高校時代、大学経由で紡いだシンデレラストーリー…横浜FM内定SB吉田真那斗が初のパリ候補合宿で猛アピール「意識していなかったところが目標になった」
新戦力が数多く名を連ねたU-22日本代表候補トレーニングキャンプにおいて、この約2か月間で急速に名を上げてきた大学生がひときわ大きな爪痕を残した。その名は鹿屋体育大DF吉田真那斗(4年=浜松開誠館高)。世代別代表に参加するのはこれが初めてと思えないほど急造チームに素早く馴染み、自らの特長をいかんなく発揮すると、最終日の紅白戦では持ち味の攻撃参加からゴールまで記録。パリ五輪に向けてのサバイバルレースに一躍名乗りを上げた。
吉田は今年3月上旬、九州大学選抜の一員としてデンソーチャレンジカップを戦っていた最中、昨季のJリーグ王者である横浜F・マリノスへの加入が発表され、一躍脚光を浴びた。内定のきっかけとなったのは横浜FMがプレシーズンに行った宮崎キャンプ。サイドバックに負傷者が続出したことで近場の大学に声がかかり、吉田が“人数合わせ”で練習試合に出場した結果、そのパフォーマンスがケヴィン・マスカット監督の目に留まるという異例のシンデレラストーリーだった。
そして今月1日には、それまで一度も公式戦でベンチ入りしていなかったにもかかわらず、J1第6節C大阪戦(●1-2)でJ1リーグデビュー。右サイドバックで過ごした約80分間で、本人として満足のいくパフォーマンスはできなかったようだが、マスカット監督は「難しい状況の中でも素晴らしいプレーを見せてくれたと思う」と高評価を下した。その言葉どおり、吉田は19日のルヴァン杯磐田戦(○1-0)でも途中出場。早くもプロの舞台で名を知られるような存在となりつつある。
そして今月21日、新戦力の発掘を目的に行われることになったU-22日本代表候補トレーニングキャンプのメンバーに初選出。吉田にとってはこれまでの全カテゴリを通じて初めての世代別日本代表入りとなった。
メンバー28人のうち初招集選手が18人を数えた今回のような急造チームにおいて、どの選手も自分の持ち味を発揮するのはそう容易ではない。むしろ大半の選手においては、活動を通じて受けた刺激をその後の日常に持ち帰ることが主なテーマとなりがちだ。ところが吉田は横浜FMのキャンプ参加時と同様、難しい環境下で自らの持ち味を表現し、たしかな輝きを放ってみせた。
象徴的だったのは最終日に15分×3本で行われた紅白戦でのプレーだ。1本目から右SBで出場した吉田は的確なポジショニングでボールに絡み、何度も攻撃を前進させると、2本目には流れの中からゴール前に潜り込み、MF細谷航平(法政大)からのパスにペナルティエリア内で反応。ストライカー顔負けのループシュートをGK藤田和輝(栃木)の頭上にふわりと浮かせ、SBながらゴールを記録した。
「いいボールがきたので、ちょっと当てるつもりだったけど、結構当たっちゃって……(苦笑)」。GKの意表を突いたスーパーゴラッソと思いきや、実は計算どおりのキックではなかったという吉田。それでもゴール前に入っていくところは狙いどおりだった。
「ゴールは常に狙っているので、常にタイミングは見ていた。いいところまでボールが動いていって、フリーだったので、自分を信じて走るだけだった」。その他の場面では崩しに停滞感が見られていたが、この場面では珍しく淀みないボール運びでフィニッシュ。「外から行くのが強みではあるけど、内でもゴールに向かっていけるのが自分の特徴なので常に狙っている」という吉田の持ち味が攻撃を完結させた。
紅白戦の終了後、報道陣の取材に応じた吉田は「(自身の力の)8割、9割は出せたんじゃないかと思う」と晴れやかな表情で4日間の合宿を振り返った。練習メニューによっては「ボール回しとかは苦手というか、上手くないのでもっと向上させないといけないと思っている」と課題も感じたそうだが、「こうしたゲームになった時のポジショニングや関わり方、タイミングも自分なりに感触は良かった」と大きな手応えの残る4日間になったようだ。
また守備の局面では「あまりやられる感じはしなかった」という得意の対人戦で強みを出しつつ、DF岡哲平(明治大)、DF山崎大地(広島)の両CBとともに入念なラインコントロールにトライ。「マリノスでもやっていることだけど、アンダー代表チームでもそういうのを大切にしているんだなと感じた。そこは大学とまた違ったところなので、大学にも還元していきたいと思う」と新たな基準を手にしていた。
ひとまずアピールは成功か。予想もせぬ形で巡ってきたJクラブの練習参加から3か月足らず、吉田は大学在学中のJ1リーグデビューを勝ち取り、初めての世代別代表に上り詰め、持ち味を見せて国際舞台へのチャンスを切り拓いた。もっとも、そんな理想的なキャリアを築きつつある21歳だが、4年前にはこうした未来を想像することすらできない環境下にあったという。
浜松開誠館高の3年時には「正直、真剣にサッカーを続けるつもりはなかった」という吉田。全国高校選手権初出場を果たした2年時の活躍が評価され、新チームの主将としてシーズンをスタートしていたものの、プリンスリーグ東海での相次ぐ連敗を受け、夏のインターハイ前にその座が後輩に譲り渡されるという悔しい経験をしていた。吉田は当時を「燃え尽きそうだった」と振り返る。
しかし、サッカーと向き合うのをやめることはなかった。「2年生の頃から試合に出ていたので、もともと自分がやらないといけないというのはあったけど、キャプテンを降ろされてからより火がついた。後輩なんかに任せられないよという思いでやっていた」。そんな意地も持ち続け、チームの中心選手としてのパフォーマンスは継続。最後の高校選手権では2年連続の静岡県決勝までたどり着いた。
決勝では惜しくも同年に全国優勝を果たすことになる静岡学園高に惜敗したが、この経験も吉田の心に火をつけた。「最後の選手権で負けたとき、本当に悔しかったので自分を燃やす材料になった。高校サッカーで物足りないと思ったぶんを大学にぶつけようと思って、覚悟を持って鹿屋に乗り込んだので、そこでいまに結びついていると思う」。OBの種吉圭造コーチの勧めで受験した鹿屋体育大でサッカーを続ける決断をし、さらなる努力でプロへのキャリアを切り拓いた。
先日のルヴァン杯磐田戦では地元ヤマハスタジアムのピッチに立っていたが、そうした過去を思えば、単なる凱旋出場にとどまらない意味があった。「いろんな人から連絡が来た。小さい頃から足を運んできたということもあったし、一度燃え尽きそうになった自分がああいうふうにピッチに立てたので、感慨深い思いがあった」。苦しんだ経験、そして背負う期待の大きさも、今後のキャリアで大きく背中を押してくれるはずだ。
パリ五輪まではあと1年2か月。ここからは常連組とのサバイバルレースに身を投じる形となる。それでもこのまま大学リーグで着実にスキルアップを続け、Jリーグ王者の横浜FMでも存在感を示し続けることができれば、選考に食い込んでいくに十分なアピールになるだろう。また高校時代の静岡県選抜で経験したオランダ、ドイツ、ベルギー遠征では「対人の強さは特長でもあるので手応えがあった」といい、国際舞台に引け目がないのもポジティブだ。
横浜FMの練習で何度か経験したFWエウベルら外国籍選手とのマッチアップでも「ついていける感じは正直するし、速いけど手応えはある」といい、「大学でもマリノスでも一回も突破させないくらいの対人能力がないと海外では通用しないので、こだわってやっていきたい」と自信も見込みも十分。夢の大舞台へ。「これまで意識していなかったところが現実、目標になったので、そこを目指して大学でもマリノスでも自分が一番だという思いを持って戦っていきたい」。シンデレラストーリーはまだまだ続きそうだ。
(取材・文 竹内達也)
吉田は今年3月上旬、九州大学選抜の一員としてデンソーチャレンジカップを戦っていた最中、昨季のJリーグ王者である横浜F・マリノスへの加入が発表され、一躍脚光を浴びた。内定のきっかけとなったのは横浜FMがプレシーズンに行った宮崎キャンプ。サイドバックに負傷者が続出したことで近場の大学に声がかかり、吉田が“人数合わせ”で練習試合に出場した結果、そのパフォーマンスがケヴィン・マスカット監督の目に留まるという異例のシンデレラストーリーだった。
そして今月1日には、それまで一度も公式戦でベンチ入りしていなかったにもかかわらず、J1第6節C大阪戦(●1-2)でJ1リーグデビュー。右サイドバックで過ごした約80分間で、本人として満足のいくパフォーマンスはできなかったようだが、マスカット監督は「難しい状況の中でも素晴らしいプレーを見せてくれたと思う」と高評価を下した。その言葉どおり、吉田は19日のルヴァン杯磐田戦(○1-0)でも途中出場。早くもプロの舞台で名を知られるような存在となりつつある。
そして今月21日、新戦力の発掘を目的に行われることになったU-22日本代表候補トレーニングキャンプのメンバーに初選出。吉田にとってはこれまでの全カテゴリを通じて初めての世代別日本代表入りとなった。
メンバー28人のうち初招集選手が18人を数えた今回のような急造チームにおいて、どの選手も自分の持ち味を発揮するのはそう容易ではない。むしろ大半の選手においては、活動を通じて受けた刺激をその後の日常に持ち帰ることが主なテーマとなりがちだ。ところが吉田は横浜FMのキャンプ参加時と同様、難しい環境下で自らの持ち味を表現し、たしかな輝きを放ってみせた。
象徴的だったのは最終日に15分×3本で行われた紅白戦でのプレーだ。1本目から右SBで出場した吉田は的確なポジショニングでボールに絡み、何度も攻撃を前進させると、2本目には流れの中からゴール前に潜り込み、MF細谷航平(法政大)からのパスにペナルティエリア内で反応。ストライカー顔負けのループシュートをGK藤田和輝(栃木)の頭上にふわりと浮かせ、SBながらゴールを記録した。
「いいボールがきたので、ちょっと当てるつもりだったけど、結構当たっちゃって……(苦笑)」。GKの意表を突いたスーパーゴラッソと思いきや、実は計算どおりのキックではなかったという吉田。それでもゴール前に入っていくところは狙いどおりだった。
「ゴールは常に狙っているので、常にタイミングは見ていた。いいところまでボールが動いていって、フリーだったので、自分を信じて走るだけだった」。その他の場面では崩しに停滞感が見られていたが、この場面では珍しく淀みないボール運びでフィニッシュ。「外から行くのが強みではあるけど、内でもゴールに向かっていけるのが自分の特徴なので常に狙っている」という吉田の持ち味が攻撃を完結させた。
紅白戦の終了後、報道陣の取材に応じた吉田は「(自身の力の)8割、9割は出せたんじゃないかと思う」と晴れやかな表情で4日間の合宿を振り返った。練習メニューによっては「ボール回しとかは苦手というか、上手くないのでもっと向上させないといけないと思っている」と課題も感じたそうだが、「こうしたゲームになった時のポジショニングや関わり方、タイミングも自分なりに感触は良かった」と大きな手応えの残る4日間になったようだ。
また守備の局面では「あまりやられる感じはしなかった」という得意の対人戦で強みを出しつつ、DF岡哲平(明治大)、DF山崎大地(広島)の両CBとともに入念なラインコントロールにトライ。「マリノスでもやっていることだけど、アンダー代表チームでもそういうのを大切にしているんだなと感じた。そこは大学とまた違ったところなので、大学にも還元していきたいと思う」と新たな基準を手にしていた。
ひとまずアピールは成功か。予想もせぬ形で巡ってきたJクラブの練習参加から3か月足らず、吉田は大学在学中のJ1リーグデビューを勝ち取り、初めての世代別代表に上り詰め、持ち味を見せて国際舞台へのチャンスを切り拓いた。もっとも、そんな理想的なキャリアを築きつつある21歳だが、4年前にはこうした未来を想像することすらできない環境下にあったという。
浜松開誠館高の3年時には「正直、真剣にサッカーを続けるつもりはなかった」という吉田。全国高校選手権初出場を果たした2年時の活躍が評価され、新チームの主将としてシーズンをスタートしていたものの、プリンスリーグ東海での相次ぐ連敗を受け、夏のインターハイ前にその座が後輩に譲り渡されるという悔しい経験をしていた。吉田は当時を「燃え尽きそうだった」と振り返る。
しかし、サッカーと向き合うのをやめることはなかった。「2年生の頃から試合に出ていたので、もともと自分がやらないといけないというのはあったけど、キャプテンを降ろされてからより火がついた。後輩なんかに任せられないよという思いでやっていた」。そんな意地も持ち続け、チームの中心選手としてのパフォーマンスは継続。最後の高校選手権では2年連続の静岡県決勝までたどり着いた。
決勝では惜しくも同年に全国優勝を果たすことになる静岡学園高に惜敗したが、この経験も吉田の心に火をつけた。「最後の選手権で負けたとき、本当に悔しかったので自分を燃やす材料になった。高校サッカーで物足りないと思ったぶんを大学にぶつけようと思って、覚悟を持って鹿屋に乗り込んだので、そこでいまに結びついていると思う」。OBの種吉圭造コーチの勧めで受験した鹿屋体育大でサッカーを続ける決断をし、さらなる努力でプロへのキャリアを切り拓いた。
先日のルヴァン杯磐田戦では地元ヤマハスタジアムのピッチに立っていたが、そうした過去を思えば、単なる凱旋出場にとどまらない意味があった。「いろんな人から連絡が来た。小さい頃から足を運んできたということもあったし、一度燃え尽きそうになった自分がああいうふうにピッチに立てたので、感慨深い思いがあった」。苦しんだ経験、そして背負う期待の大きさも、今後のキャリアで大きく背中を押してくれるはずだ。
パリ五輪まではあと1年2か月。ここからは常連組とのサバイバルレースに身を投じる形となる。それでもこのまま大学リーグで着実にスキルアップを続け、Jリーグ王者の横浜FMでも存在感を示し続けることができれば、選考に食い込んでいくに十分なアピールになるだろう。また高校時代の静岡県選抜で経験したオランダ、ドイツ、ベルギー遠征では「対人の強さは特長でもあるので手応えがあった」といい、国際舞台に引け目がないのもポジティブだ。
横浜FMの練習で何度か経験したFWエウベルら外国籍選手とのマッチアップでも「ついていける感じは正直するし、速いけど手応えはある」といい、「大学でもマリノスでも一回も突破させないくらいの対人能力がないと海外では通用しないので、こだわってやっていきたい」と自信も見込みも十分。夢の大舞台へ。「これまで意識していなかったところが現実、目標になったので、そこを目指して大学でもマリノスでも自分が一番だという思いを持って戦っていきたい」。シンデレラストーリーはまだまだ続きそうだ。
(取材・文 竹内達也)